姫路城について|歴史やおすすめスポットを詳しく解説

姫路城について|歴史やおすすめスポットを詳しく解説

姫路城の歴史やおすすめスポットを詳しく解説

 桜と赤い橋、堀を進む舟と白い城


 目次

  1. 姫路城の概要
  2. 姫路城の歴史
  3. 姫路城のおすすめスポット

はじめに

兵庫県姫路市の姫山に建つ姫路城は、大天守と3つの小天守を渡櫓でつないだ連立式天守が、江戸時代初期の姿のまま残る城です。

1993年(平成5年)、法隆寺地域の仏教建造物とともに日本で初めて世界文化遺産に登録されました。



1. 姫路城の概要 

夜にライトアップされた姫路城と桜

姫路城は標高45.6mの姫山に築かれた平山城で、白漆喰の外観から「白鷺城(しらさぎじょう)」とも呼ばれます。大天守は石垣14.85m、建物31.5mで、最上部は海抜約92mに達します。

城主は赤松氏以来13氏48代を数え、現在見られる城の全容が整ったのは1617年(元和3年)のことです​。

世界遺産の石碑と松越しの姫路城

約400年の間、戦いの舞台になることも近代の戦災に遭うこともなかったため、天守や櫓、門などの保存状態がよく、他に例のない遺構も多く残っています。

大天守・西小天守・乾小天守・東小天守とイ・ロ・ハ・ニの渡櫓の計8棟が国宝、それ以外の櫓・門・塀など74棟が重要文化財に指定されています。

松の枝越しに見る姫路城

大天守は外観5重、内部は地上6階・地下1階。これに西小天守・乾小天守・東小天守を渡櫓(わたりやぐら)でつないだ連立式天守で、幾重にも重なる屋根の千鳥破風や唐破風と、白漆喰総塗籠(そうぬりごめ)の外壁が特徴です。

縄張は堀と防御線が3重の螺旋を描く形で、これは江戸城と姫路城にしか類例がない形式とされます。門や塀で折れ曲がる通路、石落としや狭間(さま)などの防御設備も数多く残っています。

青空の下の姫路城天守と冬木立

春はソメイヨシノやシダレザクラなど約1000本の桜が咲き、「さくら名所100選」(日本さくらの会認定)にも選ばれています。夜は日没から24時まで白色のライトアップが行われます(2026年9月時点)。※2026年7月上旬〜2027年7月下旬頃(予定)は大天守周辺で保存修理工事が行われており、足場により大天守の外観や夜間のライトアップの見え方に影響があるほか、見学ルートの一部が狭くなっています(2026年10月時点)。

 


2. 姫路城の歴史 

  1. 初期の築城 (1333年 – 1346年) 

20140907101-770x422

1333年(元弘3年)、護良親王の命で挙兵した赤松則村(円心)が、京へ兵を進める途中で姫山に砦を築いたのが始まりとされます。

1346年(正平元年)には子の赤松貞範が姫山に本格的な城を築きました。ただし南北朝期の史料は限られ、規模や構造にはわかっていない部分が多くあります。その後、城は赤松氏一族の小寺氏、さらにその重臣の黒田氏が預かりました。

 

2. 豊臣秀吉による改修 (1581年)

石を運ぶ人々と天守閣のセピア調イラスト※イメージ画像

1580年(天正8年)、中国攻めを進める羽柴(豊臣)秀吉に黒田孝高が城を献上し、秀吉は3層の天守を築いて翌1581年に完成させました。

このとき石垣の石集めに苦労していると聞いた城下の老婆が古い石臼を差し出し、秀吉がそれを石垣に使ったという「姥が石(うばがいし)」の伝説が残っています。石臼は今も乾小天守北側の石垣に見られます。

 

3. 池田輝政による再建 (1601年 – 1609年)

足場が組まれた城と城下のイラスト※イメージ画像

関ヶ原の戦い(1600年)の後に城主となった池田輝政は、1601年(慶長6年)から大改築を行い、1609年(慶長14年)に大天守と3つの小天守を渡櫓でつないだ連立式天守を完成させました。

現在見られる天守群は、このとき完成した姿です。

 

4. 江戸時代の発展 (1617年 – 1868年)

堀に囲まれた天守閣の白黒イラスト※イメージ画像

1617年(元和3年)には本多忠政が城主となり、三の丸や西の丸などを増築しました。

忠政の息子・本多忠刻に嫁いだ千姫(徳川家康の孫)も姫路に移り、1626年(寛永3年)に忠刻が亡くなるまでの約10年をこの地で過ごしました。西の丸は千姫ゆかりの場所として知られています。その後は松平・榊原・酒井などの諸家が城主を務め、1749年(寛延2年)から明治維新までは酒井家が治めました。

 

5. 明治時代の保存 (1868年 – 1912年)

a7b1e675ce9aea8eea1c94270aea526bb8d2f74d

1869年(明治2年)、酒井忠邦の版籍奉還によって姫路城は国有となりました。明治に入って各地の城が取り壊されるなかでも天守群は残され、1911年(明治44年)には天守閣の修理が完成しています。

1931年(昭和6年)に天守閣が国宝に指定され、1951年(昭和26年)には文化財保護法のもとで改めて国宝に指定されました。1945年(昭和20年)の空襲で姫路の市街地は大部分が焼失しましたが、城は戦災を免れています。

 

  6. 世界遺産登録と現代の修復 (1993年 – 現在) 

緑の木々の上にそびえる姫路城

1956年(昭和31年)からは国費による8か年計画の解体修理「昭和の大修理」が行われ、1964年(昭和39年)に天守群の全工事が完了しました。1993年(平成5年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。

2009年(平成21年)からは大天守の保存修理工事「平成の修理」が行われ、屋根瓦の葺き替えや漆喰壁の塗り直しを経て、2015年(平成27年)にグランドオープンしました。

 

 

 


3. 姫路城のおすすめスポット 

天守閣 

大天守の内部には、東西2本の大柱(心柱)が地階から上層まで通っています。大柱は長さ24.6m、根元の直径95cm、末口42cm。西大柱は昭和の大修理で新しい材に取り替えられ、3階に継手があります。

石垣の上に建つ姫路城の天守
各階は上へ行くほど小さくなり、最上階の窓からは姫路の市街を見渡せます。建物内は土足禁止で、階段は急で狭く、手すりはあるもののエレベーターはありません。

 

大手門 

大手門は城の南正面、三の丸広場の入口にあたる門です。広場の先の入城口から有料区域に入り、菱の門を過ぎると、天守までは坂と階段が続く曲がりくねった道になります。公式サイトは「軽い山登りに匹敵」と案内しているので、歩きやすい服装で訪れてください。

 

西の丸 

西の丸は1617年以降に本多忠政が増築した曲輪で、千姫ゆかりの場所として知られます。曲輪の縁に沿って長い百間廊下が続き、内部を歩いて見学できます​。

 

桜門橋 

桜門橋は大手門の前で内濠に架かる木橋です。江戸時代にもここには木橋があり、現在の橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして造られました。幅7m・長さ22mで、2007年(平成19年)2月に完成しています​。

 

お菊井戸(おきくいど) 

夕暮れの姫路城お菊井戸

お菊井戸は城内の上山里丸(かみやまさとまる)にある井戸で、「播州皿屋敷」に出てくる井戸と伝わります。

姫路市の紹介では、永正年間、城主小寺則職の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを企てた際、忠臣の衣笠元信の命で青山家に女中として入ったお菊が、家宝の皿10枚のうち1枚を隠されて罪を着せられ、責め殺されて井戸に投げ込まれたとされます。以来、夜ごと「1枚、2枚…」と皿を数える声が聞こえたといい、お菊は十二所神社境内のお菊神社に祀られています。

 

百間廊下 

百間廊下は西の丸の縁に沿って長く続く櫓で、西の丸を守る防御線の役割も担っていました。建物内は段差が多く、車いすでは入れません。

 

姫路城公園 

天守の南に広がる三の丸広場は有料区域の外にあり、無料で入れます。三の丸広場や北側の広場、西側の高台(ぼたん園)では弁当を広げることもできますが、屋根はないので雨の日は注意が必要です。

 

好古園 

好古園(姫路城西御屋敷跡庭園)は城の南西に広がる日本庭園で、1992年(平成4年)に開園しました。発掘調査で確認された西御屋敷跡や武家屋敷跡の地割を活かし、約1万坪の敷地に趣の異なる9つの庭が並びます。中心は池泉回遊式の「御屋敷の庭」です。入園料は18歳以上400円(2026年9月時点)。

茶の庭にある数寄屋造の茶室「双樹庵」は、裏千家15代前家元・千玄室氏の設計・監修によるものです。抹茶と菓子の茶席は1席800円(2026年10月1日改定)で、正午から16時まで利用できます(予約不可)。

 

 

 


 さいごに 

姫路城の見どころは、江戸時代初期の姿を残す連立式天守と、そこへ至る曲がりくねった縄張です。建物内は土足禁止でエレベーターもなく急な階段が続くため、歩きやすい靴と靴袋を用意して訪れてください。

ホームへ:日本の極み旅行 (BESPES)