
弘前城の歴史や概要を詳しく解説

目次
- 弘前城の概要
- 弘前城の歴史
- 弘前城の見どころ
はじめに
青森県弘前市の弘前城について、城の概要、築城から現在の石垣修理までの歴史、城内の主な見どころを順に紹介します。
弘前城の概要
弘前城は青森県弘前市にある平山城で、1611年に津軽氏が完成させ、1871年の廃藩置県まで弘前藩津軽家の居城でした。築城時の天守は5層でしたが1627年に落雷で焼失し、1810年に現在の3層の天守が建てられました。江戸時代に建てられ現存する天守としては、東北地方で唯一のものです。

全国に12ある「現存天守」の一つで、天守のほか三つの櫓(やぐら)と五つの門が国の重要文化財に指定されています。城域は濠と土塁に囲まれ、当時の縄張りがよく残っています。

城跡は弘前公園として整備され、約2,600本の桜が植えられています。

天守内部の一般公開は2032年度まで休止中ですが(2026年9月時点)、公園内の弘前市立博物館で弘前藩政を中心とした歴史資料を見ることができます。
弘前城の歴史
1. 築城と初期の歴史(1603年-1611年)
南部氏から独立して津軽地方を統一した津軽為信は、1603年に新たな城の地として高岡(現在の弘前)を選びました。しかし築城は進まず、為信は1607年に完成を見ずに亡くなります。父の遺志を継いだ2代藩主・信枚が1610年に工事を進め、翌1611年に5層の天守を持つ城を完成させました。
当時の名は「高岡城」で、「弘前城」と改められたのは天守焼失の翌年、1628年のことです。
2. 雷火災と天守の消失(1627年)
1627年、天守は落雷による火災で焼失しました。雷が最上階の鯱鉾(しゃちほこ)に落ち、燃え広がった火が内部の火薬に引火して爆発したと伝えられています。
幕府から天守新造の許可が下りなかったためとされ、弘前城はその後1810年まで天守のない城でした。なお、焼失した天守の天守台は、現在の本丸未申櫓跡の石垣です。
3. 天守の再建(1810年)
現在の3層の天守は、1810年に9代藩主・津軽寧親のもとで、本丸の辰巳櫓を解体した跡に新たに建てられたものとされています。許可が下りた理由は、数年前に弘前藩が蝦夷地警備の功を認められたことや、津軽海峡を往来するロシア船への備えという説が一般的です。
当時は天守の代用として「御三階櫓」と呼ばれていたとも言われます。
4. 明治維新と城の保存(1871年-1895年)
1871年の廃藩置県で城としての役目を終えた後も、天守・櫓・門は残されました。
1895年に弘前公園として一般に開放され、天守・櫓・門は1937年に国宝(旧国宝)に指定されました。現在は国の重要文化財です。
5. 現代の保存と観光地化

本丸の石垣修理のため、2015年に天守を本丸内の仮天守台へ約78m曳屋(ひきや)で移動しました。天守を元の天守台に戻す「曳き戻し」は2026年7月に始まり、同年11月ごろ完了予定です(2026年10月時点)。
弘前城の見どころ
天守閣
3層3階の小ぶりな天守ですが、濠に面した東・南の2面には切妻破風や石落としを設けて大きく見せ、本丸側の北・西面は破風を省いて窓を大きく取っています。見る方向で印象が変わるので、二の丸側と本丸側の両方から眺めてみてください。
内部は藩政時代の資料を展示する史料館ですが、耐震補強・保存改修工事のため2032年度の工事完了まで一般公開は休止中です(2026年9月時点)。
三の丸追手門
三の丸追手門は弘前城の正門で、江戸時代の門がそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。バス停や観光館に近く、ここから入城するのが一般的です。
二の丸未申櫓
未申櫓(ひつじさるやぐら)は二の丸の南西に建つ3層3階の櫓で、城に取りつく敵への攻撃や物見のために造られました。「未申」は天守から見た方角(南西)を表します。未申櫓の内部の公開状況は時期によって異なるため、最新情報は公式サイトで確認してください。
辰巳櫓・丑寅櫓とともに国の重要文化財です。杉の大橋側から見ると、櫓が段丘の崖の上に建っていることがよくわかります。
弘前公園
弘前公園には約2,600本の桜が植えられ、「日本さくら名所100選」に選ばれています。春の「弘前さくらまつり」の期間は、夜にライトアップされた桜と城も見られます。

秋は菊と紅葉まつり、冬は雪燈籠まつりが開かれ、桜の季節以外にも城と季節の景色を組み合わせて楽しめます。
下乗橋
下乗橋は二の丸から内濠を渡って本丸へ入る赤い欄干の橋で、天守と一緒に撮影できる場所として知られています。藩政時代は二の丸側に下馬札が置かれ、藩士はここで馬を降りるよう定められていたことが名の由来とされます。
まとめ
弘前城は、1810年築の天守と、築城当時の櫓・門が残る城です。2026年11月ごろには天守が元の石垣の上に戻る予定で、天守内部の公開は2032年度の工事完了後に再開される見込みです(2026年9月時点)。




