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伊弉諾神宮について|歴史や概要を詳しく解説

作成者: BesPes|Sep 26, 2024 11:59:39 PM

🕓 2024/9/29
#神社

伊弉諾神宮の歴史や概要を詳しく解説

 


 目次

  1. 伊弉諾神宮の概要
  2. 伊弉諾神宮の歴史
  3. 伊弉諾神宮の見どころ


はじめに

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、日本の歴史と神話が交差する神聖な場所であり、その存在は日本の神道文化において非常に重要な意味を持っています。この記事では、伊弉諾神宮の概要、歴史、そして見どころに焦点を当て、その魅力と信仰の深さを紹介していきます。

伊弉諾神宮の神秘的な魅力や歴史的背景を理解し、参拝する際にどのようなポイントに注目すべきかがわかる内容をお届けします。

 

1. 伊弉諾神宮の概要 

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、兵庫県淡路市多賀に位置する神社で、日本神話の創造神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神として祀っています。日本最古の神社の一つとされ、その歴史と由緒は古代からの伝承に基づいています。

この神社は「国生み神話」に登場する伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二柱を祀っており、日本を創造した夫婦神としての信仰を集めています。特に伊弉諾尊は、神話において日本列島の最初の島々を生み出した神であり、彼がこの地で晩年を過ごしたとされています。

神話の「幽宮(かくりのみや)」、すなわち伊弉諾尊が余生を送った場所に建てられたとされ、神社自体が神の住まいの跡地にあるという特別な意味を持ちます。このため、通常の神社とは異なり、神そのものが祀られているという特異性があります。また、明治時代の近代社格制度において、伊弉諾神宮は官幣大社に列せられ、国家的に重要な神社として位置づけられました。現在は神社本庁の別表神社に指定されており、その格式と歴史的価値が高く評価されています。

境内には、壮大な一の鳥居から二の鳥居、手水舎、拝殿へと続く美しい参道が広がり、参拝者を迎え入れます。特に、拝殿や御本殿は伊弉諾尊の神陵の上に建てられており、その神聖さが感じられます。また、境内には「放生の神池」という池があり、ここでは病気平癒や長寿を祈るために鯉や亀を放つ信仰が伝えられています。

恋愛成就や夫婦円満、家内安全など、多くのご利益があるとされ、縁結びや家庭の安泰を願う参拝者が多く訪れています。また、2004年には世界遺産にも登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、国生み神話ゆかりの神社としてその価値が再認識されています​。

 

 

 

 

2. 伊弉諾神宮の歴史 

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、兵庫県淡路島に位置し、日本最古の神社の一つとして知られています。歴史的には、以下のような主要な出来事が記録されています。

 1. 創建と伝承 (年代不詳) 

伊弉諾神宮の創建時期ははっきりした記録が残っていませんが、神話に基づいた起源があります。『古事記』や『日本書紀』によれば、国産みと神産みを終えた伊弉諾尊が、淡路島の多賀で余生を送り、そこで幽宮(かくりのみや)を構えたとされています。この幽宮の地が、現在の伊弉諾神宮の起源とされています。伊弉諾尊が余生を過ごしたこの地は、彼の最終的な安息の地として神聖視されており、伊弉諾尊に由来する重要な神社とされています。

 

 2. 859年: 正一位の神階を授与 

貞観元年(859年)、伊弉諾神宮に対して、朝廷から正一位という最高位の神階が授けられました。正一位は神社に与えられる最高の位であり、国家的に重要な神社と認められた証です。この時、伊弉諾尊は「一品伊佐奈岐命」として神格化され、神階が昇叙されたことが『日本三代実録』に記されています。

 

 3. 927年: 『延喜式神名帳』への記載 

延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』では、伊弉諾神宮が名神大社として記載されました。名神大社は、特に重要とされた神社に与えられる格式で、淡路国の一宮としてもその地位を確立しています。この記録により、伊弉諾神宮が国家的にも高い位置づけであったことがわかります。

 

 4. 1871年: 官幣大社への列格 

明治4年(1871年)、明治政府が導入した近代社格制度に基づき、伊弉諾神宮はまず国幣中社に列せられ、1885年(明治18年)には官幣大社に昇格しました。官幣大社は国家によって直接管理される神社であり、この昇格によって、伊弉諾神宮の国家的重要性が一層強化されました。この時期に、国家の神道政策の一環として、神社の役割や位置づけが確立されたと言えます。

 

 5. 1946年: 神社本庁への包括 

昭和21年(1946年)、戦後の神道指令により国家神道が解体され、宗教法人としての新しい神社制度が構築されました。これにより、伊弉諾神宮は神社本庁の包括下に入り、独立した宗教法人として運営されることになりました。また、1948年には神社本庁の「別表神社」として指定されています。

 

 6. 現代までの発展 

昭和21年以降、神社本庁の包括下で運営が続けられ、平成2年(1990年)には「御鎮座一千三百年大祭」が盛大に斎行されました。この祭りは、伊弉諾神宮が地域の信仰の中心として続いてきたことを祝う大規模な行事でした。今日に至るまで、神社は参拝者を多く迎え入れ、伊弉諾尊の信仰を中心とした日本の伝統文化の一端を担い続けています。

 

 

 

3. 伊弉諾神宮の見どころ 

伊弉諾神宮の見どころには、歴史的にも神話的にも重要なスポットが多数あります。以下に主要な見どころをピックアップしてご紹介します。

 ■ 本殿と御陵 

伊弉諾神宮の本殿は、伊弉諾尊が余生を過ごしたとされる場所に建立されており、その上に御陵が位置しています。この本殿は、伊弉諾尊が神話において日本列島を創造し、最終的に安息の地として淡路島を選んだことに由来する特別な場所です。御陵が本殿の基盤として機能している点は、他の神社では珍しい特徴であり、本殿自体が伊弉諾尊の終焉の地であることを強調しています。

威厳ある建築様式で、厳かな雰囲気を漂わせており、参拝者が感じる神聖さは格別です。この地が伊弉諾尊の最後の場所であることから、神そのものが鎮座している場所とされ、そのため通常の神社以上に特別なエネルギーを感じるパワースポットとして知られています。

 

 ■ 夫婦大楠(めおとおおくす) 

夫婦大楠は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の神霊が宿るとされる樹齢900年以上の大木で、兵庫県の天然記念物に指定されています。元々は2本の楠が、年月をかけて一体化し、夫婦円満や子宝の象徴として崇拝されています。

この木には、訪れる参拝者が触れて温かなエネルギーを感じるパワースポットとしても人気があります。伊弉諾尊と伊弉冉尊に由来し、特に縁結びや家族の繁栄を祈願する参拝者が多いです。

 

 ■ 放生の神池 

放生の神池は、かつて生命の永続を祈る「放生神事」が行われた場所です。病気平癒を願って鯉を放ち、病が治ると亀を放つ習慣がありました。この神池は今でも多くの参拝者が訪れ、生命の尊さを感じるパワースポットとして知られています。池には鯉が泳いでおり、病気平癒や健康を祈る参拝者にとって重要な場所です。

 

 ■ さざれ石 

「さざれ石」は、国歌「君が代」にも登場する石で、小さな石が長い年月をかけて結合し、大きな岩となったものを指します。伊弉諾神宮の参道には、淡路島産と熊本県産の2つのさざれ石が展示されており、長寿や繁栄を象徴しています。国歌の一部に登場することで、国家や個人の繁栄を象徴し、多くの参拝者がその前で写真を撮り、祈願します。

 

 ■ 陽の道しるべ 

「陽の道しるべ」は、伊弉諾神宮を中心として、夏至や冬至の日に太陽が昇る方角に日本の重要な神社が配置されていることを示す石碑です。夏至の朝日が昇る方向には「諏訪大社」、夕日が沈む方向には「出雲大社」が位置しています。冬至では、日の出が「熊野那智大社」、日没が「高千穂神社」に向かいます。

この配置は偶然ではなく、古代の知恵によって神々を結ぶ役割を担っているとされています。このレイラインにより、伊弉諾神宮が神話や歴史の中心地であることが強調されています。

 

 ■ 左右神社 

伊弉諾神宮の本殿の近くにある「左右神社」では、眼病治癒のご利益があるとされています。この神社は、伊弉諾尊の右目から生まれた「月読命」と左目から生まれた「天照大神」を祀っています。目に関する神話に基づき、目の健康を祈る参拝者が多く訪れ、目の治癒や健康を願う神社として信仰されています。

 

 

 

 さいごに 

最後に、伊弉諾神宮はその深い歴史と神話的な背景から、訪れる人々に強い感動と敬意を抱かせる特別な場所です。日本最古の神社の一つとして、その存在は国の成り立ちに密接に関わり、神話に登場する神々を祀ることで多くの人々に信仰されています。

この記事で紹介した各スポットは、参拝者にとって心を動かすパワースポットであり、訪れる価値のある場所ばかりです。伊弉諾神宮を訪れる際には、その神聖な空気と歴史を感じながら、ゆっくりと巡ってみてはいかがでしょうか。