はじめに
雪が降り積もる渓谷の温泉に、ニホンザルたちが気持ちよさそうに浸かっている——この光景は「スノーモンキー」として世界中に知られ、海外メディアでも「世界で最も有名な温泉好きの猿」として繰り返し紹介されています。長野県山ノ内町にある地獄谷野猿公苑(じごくだにやえんこうえん)は、野生のニホンザルが温泉に入浴する姿を間近に観察できる、世界でも唯一無二のスポットです。
標高850メートルの山間に位置するこの公苑には、約160頭のニホンザルが暮らしています。冬の寒さを凌ぐために温泉に浸かるサルたちの姿は、人間と自然が共存する日本ならではの光景として、年間約30万人の来場者(うち約3分の1が外国人)を魅了しています。
この記事では、地獄谷野猿公苑の歴史から見どころ、訪問のコツまで詳しく解説します。「スノーモンキー」に会いに行く前にぜひ読んでいただきたい完全ガイドです。

地獄谷野猿公苑の概要
| 正式名称 | 地獄谷野猿公苑(じごくだにやえんこうえん) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県下高井郡山ノ内町大字平穏6845 |
| 標高 | 約850メートル |
| サルの頭数 | 約160頭(群れによって変動) |
| 開苑時間 | 夏季(4〜10月)8:30〜17:00 / 冬季(11〜3月)9:00〜16:00 |
| 入苑料 | 大人800円、子ども400円 |
| 定休日 | なし(年中無休、臨時休苑あり) |
| 駐車場 | 上林温泉無料駐車場(約80台) |
地獄谷野猿公苑は、志賀高原の麓に位置する地獄谷温泉の一角にあります。「地獄谷」の名は、急峻な崖に囲まれた渓谷と、至る所から噴き出す温泉の蒸気がまるで地獄のような景観を作り出していることに由来しています。公苑までは上林温泉の駐車場から約1.6キロメートルの遊歩道を歩く必要があり、この山道そのものが豊かな自然の中を歩く気持ちよい体験です。
ここに暮らすニホンザル(学名:Macaca fuscata)は完全な野生の群れであり、檻や柵の中で飼育されているわけではありません。公苑はサルたちの生息域の一部を来場者に公開しているもので、サルたちは自由に山と公苑の間を行き来しています。そのため、サルが山に入ってしまう日は見学できないこともあります(特に秋の実りの季節は山にいることが多い)。

地獄谷野猿公苑の歴史
開苑の経緯——人とサルの共存の始まり(1960年代)
地獄谷野猿公苑が開苑したのは1964年のことです。その背景には、ニホンザルによる農作物被害という深刻な問題がありました。1950年代、山ノ内町の農村ではサルたちがリンゴやトウモロコシなどの農作物を荒らし、農家は大きな被害を受けていました。駆除か共存か——この問題に対して、当時の志賀高原で宿を営んでいた後藤良助氏が「サルを山奥に誘導し、そこで餌付けをすれば農作物被害を減らせるのではないか」というアイデアを提案しました。
後藤氏は約2年の歳月をかけてサルの群れと信頼関係を築き、地獄谷の温泉付近に群れを定着させることに成功しました。1964年に地獄谷野猿公苑として正式に開苑し、野生のサルを間近で観察できる施設として運営が始まりました。当初は国内の動物学者や愛好家が主な来場者でしたが、やがてその珍しさが口コミで広がっていきました。

「スノーモンキー」の誕生——温泉に入るサルの発見(1963年〜)
地獄谷のサルが温泉に入るようになったのは、1963年の冬のことです。1頭の子ザルが温泉の近くに落ちていたリンゴを拾うために温泉に入ったのがきっかけとされています。温泉の温かさに気づいた子ザルは繰り返し温泉に入るようになり、やがて他のサルたちも真似をして入浴するようになりました。
この行動は、動物行動学においても非常に興味深い事例として注目されました。一つの個体が偶然に始めた行動が群れ全体に広まるという「文化的伝達」の好例として、世界中の研究者が地獄谷を訪れるようになったのです。現在では特に冬の寒い日に多くのサルが温泉に浸かりますが、メスや子ザルの方がオスよりも入浴する傾向が強いことが観察されています。
なお、当初はサルたちが人間用の温泉旅館の露天風呂に入ってしまうことが問題となったため、1967年にサル専用の温泉が設けられました。現在、サルたちが入浴しているのはこのサル専用の温泉です。
世界的な観光地への成長(2000年代〜現在)
地獄谷野猿公苑が世界的に知られるようになったのは、2000年代以降のことです。アメリカの雑誌『LIFE』が雪の中で温泉に入るサルの写真を大きく取り上げたことをきっかけに、「スノーモンキー」の愛称で海外メディアに頻繁に紹介されるようになりました。BBCやナショナルジオグラフィック、ロンリープラネットなど、世界的なメディアや旅行ガイドが相次いで取り上げ、特に欧米やオーストラリアからの観光客が急増しました。
現在の来場者数は年間約30万人で、うち約3分の1が外国人です。長野県の主要観光地の一つとなっており、近隣の湯田中渋温泉郷や志賀高原と合わせたツアーが人気を集めています。2015年には「Snow Monkey Resorts」という英語ガイド付きツアーが設立されるなど、インバウンド観光の好例としても注目されています。
一方で、来場者の急増に伴うサルへの影響も懸念されています。公苑では「サルに触らない」「食べ物を見せない」「フラッシュ撮影をしない」などのルールを設け、野生動物との適切な距離を保つ取り組みを続けています。

見どころ・おすすめポイント
地獄谷野猿公苑を訪れたら注目したいポイントをご紹介します。
温泉に浸かるスノーモンキー
何と言っても最大の見どころは、温泉に入浴するサルたちの姿です。冬の寒い日には10頭以上のサルが同時に温泉に浸かることもあり、気持ちよさそうに目を細める姿はまさに「極楽」そのもの。特に雪が降る日の入浴シーンは、白い雪を背景にしたサルたちの姿が一枚の絵画のような美しさです。
サルが温泉に入るのは主に冬季(12月〜3月)で、気温が低い日ほど入浴する確率が高くなります。夏場はほとんど温泉に入りませんが、サルたちの社会行動(毛づくろい、子育て、遊びなど)を間近で観察できるのは通年の魅力です。

サルの社会行動の観察
地獄谷のサルたちは完全な野生の群れであり、複雑な社会構造を持っています。群れにはオスとメスの順位制があり、毛づくろい(グルーミング)は社会的絆を深める重要な行動です。特に母ザルと子ザルの関係は微笑ましく、子ザルが母ザルにしがみつく姿や、兄弟ザルが追いかけっこをする姿は、見る者の心を和ませます。
公苑のスタッフはサルたちに個体名をつけて管理しており、各個体の性格や関係性を把握しています。運が良ければスタッフから個々のサルについてのエピソードを聞くこともできます。
地獄谷温泉の天然記念物「渋の地獄谷噴泉」
公苑の手前には、国の天然記念物に指定されている「渋の地獄谷噴泉」があります。岩の間から約20メートルの高さまで熱水が吹き上がるこの噴泉は、地獄谷の名前の由来を実感させる迫力ある自然現象です。噴泉の周辺は硫黄の匂いが立ち込め、大地のエネルギーを五感で感じることができます。
四季折々の自然
地獄谷野猿公苑の魅力は冬のスノーモンキーだけではありません。春は新緑に包まれた渓谷の中でサルたちがのびのびと過ごす姿が見られ、夏は木漏れ日の中での涼しげな散策が楽しめます。秋の紅葉シーズンには、色づいた木々とサルたちの姿が美しいコントラストを見せます。ただし、秋は山の実りが豊富でサルが山から降りてこないこともあるため、冬よりも確実性はやや下がります。

訪問のコツ・注意事項
服装と持ち物
公苑までは約1.6キロメートルの山道を歩くため、歩きやすい靴が必須です。冬場は雪道になるため、防水性のあるブーツやトレッキングシューズを強くおすすめします。滑り止め(スパイク)があるとさらに安心です。防寒対策も重要で、帽子・手袋・暖かいコートは必需品です。
ルールとマナー
野生動物との共存のため、以下のルールを守りましょう。
- サルに触らない・近づきすぎない
- 食べ物を見せない・与えない
- サルの目をじっと見つめない(威嚇と受け取られる)
- フラッシュ撮影はしない
- 大きな声を出さない
ベストな訪問時間
サルが最も活発に温泉に入るのは、冬の午前中〜昼過ぎの寒い時間帯です。開苑直後の午前9時頃に到着するのがおすすめです。午後になるとサルが山に帰ってしまうこともあるため、早めの訪問を心がけましょう。

周辺の観光スポット
湯田中渋温泉郷
地獄谷野猿公苑から最も近い温泉街が、湯田中渋温泉郷です。1300年以上の歴史を持つ温泉地で、石畳の温泉街には九つの外湯(共同浴場)が点在しています。特に渋温泉の「金具屋」は、映画『千と千尋の神隠し』のモデルの一つとも言われる趣ある木造建築で有名です。スノーモンキー見学の後に温泉で体を温めるのは最高の体験です。
志賀高原
冬場はスキーリゾートとして、夏場はハイキングの名所として知られる志賀高原も近くにあります。地獄谷野猿公苑とスキーを組み合わせた冬の旅行プランは、海外の旅行者にも非常に人気があります。
アクセス方法
電車でのアクセス
長野駅から長野電鉄で湯田中駅まで約45分(特急で約40分)。湯田中駅からはバスまたはタクシーで上林温泉まで約15分。上林温泉の駐車場から公苑まで徒歩約30分です。東京から長野駅までは北陸新幹線で約1時間20分です。
車でのアクセス
上信越自動車道「信州中野IC」から約20分で上林温泉駐車場に到着します。駐車場は無料(約80台)ですが、冬の週末は混雑することがあります。冬季はスタッドレスタイヤまたはチェーンが必須です。

まとめ
地獄谷野猿公苑は、野生のニホンザルが温泉に入浴する姿を見られる世界唯一のスポットです。農作物被害の解決策として始まったこの公苑は、60年の歴史の中で「スノーモンキー」という世界的ブランドを生み出し、人と野生動物の共存の可能性を示す好例となりました。
雪の中で温泉に浸かるサルたちの姿は、日本の自然と文化が生み出した奇跡的な光景です。冬の長野を訪れる際には、ぜひ地獄谷野猿公苑に足を運んでみてください。



