上賀茂神社について|歴史や概要を詳しく解説

上賀茂神社について|歴史や概要を詳しく解説

はじめに

京都市北区、賀茂川のほとりに広がる上賀茂神社の境内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは広大な芝生の参道と、その奥に静かにたたずむ朱塗りの社殿です。都会の喧騒から離れた穏やかな空気が境内全体を包み込み、訪れる人々を悠久の歴史の世界へといざないます。風にそよぐ木々のざわめきと、御手洗川(みたらしがわ)のせせらぎだけが聞こえる静寂の中で、1,300年以上にわたり守り続けられてきた神域の清浄さを全身で感じることができるでしょう。

上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい、京都で最も古い歴史を持つ神社の一つです。その創建は神話の時代にまで遡り、社伝では天武天皇6年(677年)に現在の社殿の基が造営されたとされています。平成6年(1994年)にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つとして登録され、日本のみならず世界的にもその文化的価値が認められました。京都三大祭の一つである葵祭(あおいまつり)の舞台としても広く知られ、毎年5月15日には平安絵巻さながらの優雅な行列が京都の街を彩ります。

この記事では、上賀茂神社の創建にまつわる神話から、21回にわたる式年遷宮の歴史、本殿・権殿をはじめとする国宝建築、立砂(たてずな)や神馬(しんめ)などの独自の見どころ、さらに周辺の観光スポットやアクセス方法まで、上賀茂神社の魅力を余すところなくご紹介します。京都観光の計画にぜひお役立てください。

上賀茂神社の一の鳥居から参道を望む風景、広々とした芝生と朱色の鳥居

上賀茂神社の概要

上賀茂神社は、京都市北区上賀茂本山に鎮座する山城国一宮で、賀茂氏の氏神を祀る京都最古級の神社です。正式名称は「賀茂別雷神社」で、御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。雷(いかづち)の神の名が示すとおり、厄除け・雷除け・方除けの御神徳で古くから信仰を集めてきました。

正式名称賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
所在地京都府京都市北区上賀茂本山339
御祭神賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
社格式内社(名神大社)・山城国一宮・旧官幣大社・勅祭社
創建社伝:天武天皇6年(677年)
参拝時間5:30〜17:00(特別参拝は10:00〜16:00、土日祝のみ)
参拝料境内無料(特別参拝:大人500円)
定休日なし(年中無休)
電話番号075-781-0011

※最新の参拝時間・料金は上賀茂神社公式サイトをご確認ください。

上賀茂神社は、下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに「賀茂社」と総称され、古代から皇室との結びつきが非常に深い神社です。延喜式神名帳では名神大社に列し、山城国の一宮として崇められてきました。伊勢神宮に次ぐ格式を持つとされ、歴代天皇の行幸や勅使の派遣が絶えることなく続いてきた勅祭社でもあります。境内の総面積は約66万平方メートル(東京ドーム約14個分)にもおよび、その広大な敷地の大部分は鬱蒼とした森に覆われた神域として守られています。

年間の参拝者数は約150万人を数え、特にお正月の三が日には約70万人もの初詣客が訪れます。境内には本殿・権殿の2棟の国宝と、34棟の重要文化財があり、神社建築の宝庫ともいえる存在です。また、21年ごとの式年遷宮が今なお受け継がれている数少ない神社でもあり、直近の第42回式年遷宮は平成27年(2015年)に執り行われました。

上賀茂神社の歴史

1. 神話の時代:賀茂別雷大神の降臨と賀茂氏の信仰

上賀茂神社の起源は、記紀神話の時代にまで遡ります。社伝に伝わる創建の物語は、神秘的でありながらも賀茂氏の血統の正統性を示す重要な伝承です。賀茂氏の祖先にあたる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘・玉依日売(たまよりひめ)が、賀茂川で身を清めていたとき、上流から丹塗りの矢(にぬりのや)が流れてきました。玉依日売がその矢を拾い持ち帰ったところ、やがて男子が誕生します。この子が賀茂別雷大神です。

賀茂別雷大神の「別雷」とは「若い雷」を意味し、雷光のように激しく力強い神威を持つ神として崇められました。伝承では、この男子が成人した際の祝宴で、祖父の賀茂建角身命が「お前の父と思う人にこの酒を捧げよ」と言ったところ、賀茂別雷大神は天に向かって杯を挙げ、雷鳴とともに天に昇っていったとされています。このことから人々は雷の神として畏敬し、その降臨の地である神山(こうやま)を神体山として祀りました。

考古学的には、この地域に賀茂氏が定住し祭祀を始めたのは縄文時代晩期から弥生時代にかけてと推定されています。賀茂氏は古代の山城国を拠点とした有力な豪族であり、製鉄や農耕の技術に長けた一族でした。社伝によれば、天武天皇6年(677年)に現在地に社殿が造営されたとされ、これが上賀茂神社の公式な創建年とされています。奈良時代に入ると朝廷からの崇敬はさらに厚くなり、大宝元年(701年)には早くも官幣が奉られた記録が残っています。

2. 平安時代:王城鎮護の神として——葵祭と皇室の深い絆

平安京への遷都(794年)は、上賀茂神社にとって飛躍的な発展の契機となりました。桓武天皇が新都の北に位置する賀茂社を王城鎮護の神として篤く崇敬し、賀茂社の祭礼を国家的な行事に格上げしたのです。これが現在の葵祭(賀茂祭)の原型であり、平安時代には「祭り」といえば葵祭を指すほどの存在でした。「源氏物語」にも葵祭の華やかな様子が描かれ、光源氏の正妻・葵の上と六条御息所の車争いの場面は、当時の葵祭の盛況ぶりを今に伝えています。

平安時代には「斎院(さいいん)」の制度が設けられ、未婚の皇女が賀茂社に奉仕する斎王(さいおう)として仕えました。これは伊勢神宮の斎宮に対応する制度で、賀茂社が伊勢に次ぐ格式を持つことを象徴しています。初代の斎院は嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)で、以後約400年にわたり35代の斎王が奉仕しました。斎院御所は現在の上賀茂神社の北西に置かれ、賀茂斎院跡として歴史の面影を伝えています。

また、この時代に上賀茂神社の社殿は大規模に整備されました。本殿と権殿が並び立つ「賀茂造(かもづくり)」と呼ばれる独特の建築様式が確立されたのもこの頃です。21年ごとに社殿を建て替える式年遷宮の制度も平安時代に始まったとされ、神社の清浄さを保ちながら建築技術を次世代に伝える仕組みとして今日まで受け継がれてきました。平安時代の上賀茂神社は、宗教的権威と政治的影響力の両面で、京都の中でも最も重要な神社の一つでした。

3. 中世〜近世:戦乱の試練と復興——応仁の乱を越えて

平安時代に隆盛を極めた上賀茂神社も、中世の戦乱の時代には幾度もの試練に見舞われました。特に応仁の乱(1467〜1477年)は京都全体を焦土と化し、上賀茂神社の社殿も大きな被害を受けました。さらに戦国時代に入ると、各地の武将による社領の押領(おうりょう)が相次ぎ、経済的基盤が大きく揺らぎます。

しかし、上賀茂神社は朝廷や有力者の支援を受けながら、そのたびに復興を果たしてきました。室町時代には足利将軍家が社殿の修造を支援し、戦国時代には織田信長が社領を安堵する文書を発給しています。豊臣秀吉も賀茂社を重視し、文禄3年(1594年)には社殿の修復を命じました。

江戸時代に入ると、徳川幕府のもとで上賀茂神社は安定した保護を受けるようになります。寛永5年(1628年)には3代将軍・徳川家光の命により本殿・権殿の造替が行われ、現在の国宝建築の基礎が築かれました。この時期に造営された本殿と権殿は、その後の式年遷宮でも基本的な形を踏襲しながら修造が繰り返され、「賀茂造」の精緻な美しさを現在まで守り伝えています。江戸時代を通じて式年遷宮は欠かすことなく行われ、元禄、享保、文化といった各時代の記録が詳細に残されています。

上賀茂神社の本殿・権殿を囲む朱色の瑞垣(みずがき)、歴史的な社殿建築

4. 明治〜昭和:近代化の波と式年遷宮の継承

明治維新は上賀茂神社にとっても大きな転換期となりました。明治元年(1868年)の神仏分離令により、境内にあった仏教関連の施設は撤去され、神社は純粋な神道施設としての姿を取り戻しました。明治4年(1871年)の社格制度では官幣大社に列せられ、国家の最高格式を持つ神社として位置づけられます。葵祭は明治初期に一時中断しましたが、明治17年(1884年)に再興され、以降は途切れることなく続いています。

大正時代には賀茂川の治水工事が進み、度重なる洪水被害から社殿を守る基盤が整えられました。しかし昭和に入ると、太平洋戦争の影響で社殿の維持管理が困難になった時期もありました。幸いにして戦火を免れた上賀茂神社は、戦後の混乱期を乗り越え、昭和28年(1953年)に本殿・権殿が国宝に指定されます。これにより文化財としての保護体制が整い、式年遷宮の伝統も国の支援を受けながら継続されることになりました。

昭和の時代には、上賀茂神社の社家町(しゃけまち)も重要な文化的景観として注目されるようになります。社家町とは、上賀茂神社に代々仕えた神職の屋敷が並ぶ町並みで、明神川沿いに土塀と門構えの美しい家々が連なる風景は、京都でも他に類を見ない歴史的景観です。現在、この社家町は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

5. 平成〜令和:世界遺産登録と現代における上賀茂神社

平成6年(1994年)、上賀茂神社はユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つとして登録されました。金閣寺清水寺と並び、京都を代表する文化遺産として国際的にもその価値が認められたのです。世界遺産登録後は海外からの参拝者も増加し、英語やフランス語による案内表示の整備も進められました。

平成27年(2015年)には第42回式年遷宮が執り行われ、「正遷宮」の儀式では御神体を仮殿から新しく修造された本殿へとお遷しする荘厳な神事が深夜に行われました。この式年遷宮には全国から多くの参列者が訪れ、1,300年以上にわたり受け継がれてきた伝統の重みを改めて感じさせる出来事となりました。次回の式年遷宮は2036年(令和18年)に予定されています。

現代の上賀茂神社は、伝統を守りながらも新しい取り組みにも積極的です。境内では毎月第4日曜日に「上賀茂手づくり市」が開催され、地元の作家やクラフト職人が集まる人気のマーケットとなっています。また、結婚式場としても人気が高く、神前結婚式を挙げるカップルが後を絶ちません。年間参拝者数は約150万人で、京都の神社の中でもトップクラスの参拝者を集めています。四季折々の表情も魅力で、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と、境内は一年を通じて美しい景色を見せてくれます。

見どころ・おすすめスポット

上賀茂神社を訪れたら外せない見どころを厳選してご紹介します。1,300年以上の歴史が育んだ神聖な空間には、他の神社では見ることのできない独自の魅力が詰まっています。

1. 立砂(たてずな)——神が降臨した山を模した円錐形の砂山

上賀茂神社を訪れた人が最も印象に残る光景の一つが、細殿(ほそどの)の前に対をなして盛られた二つの円錐形の砂山「立砂(たてずな)」です。高さ約1メートルの美しい円錐形は、御祭神・賀茂別雷大神が降臨したとされる神体山「神山(こうやま)」を模したものとされ、神が降り立つ依代(よりしろ)としての役割を持っています。向かって左の砂山の頂には3本の松葉、右には2本の松葉が立てられており、これは陰陽道の思想に基づくものです。

立砂は「清めの砂」の起源ともいわれており、日本の住宅や店舗の入口に盛り塩をする風習は、この立砂に由来するという説があります。現在でも上賀茂神社の授与所では「清め砂」を頒布しており、家や土地の清めとして求める参拝者が多くいます。立砂の美しさは、人の手によって精緻に整えられた幾何学的な造形美と、自然の砂が持つ素朴さが見事に融合している点にあります。

撮影スポットとしても人気が高く、朝の柔らかい光の中で撮影すると砂の陰影が美しく浮かび上がります。細殿の屋根と立砂を組み合わせた構図は、上賀茂神社を象徴する定番の一枚です。雨上がりの日には砂が湿って色が濃くなり、また違った表情を見せてくれます。ぜひ細殿の正面からだけでなく、さまざまな角度から立砂を観察してみてください。

2. 本殿・権殿(国宝)——賀茂造の最高傑作

上賀茂神社の最も奥に位置する本殿と権殿は、ともに国宝に指定されている神社建築の至宝です。現在の建物は文久3年(1863年)の式年遷宮で造替されたもので、「賀茂造(かもづくり)」と呼ばれる上賀茂神社独自の建築様式で建てられています。賀茂造は「流造(ながれづくり)」の原型ともいわれ、正面の屋根が長く延びて向拝(こうはい)を形成する優美な曲線が特徴です。

本殿は御祭神・賀茂別雷大神を祀る社殿で、権殿は本殿とほぼ同じ構造・規模を持つ「予備の社殿」です。式年遷宮の際には、御神体を本殿から権殿へ、あるいは権殿から本殿へとお遷しすることで、常にどちらか一方が「現役」の社殿として機能する仕組みになっています。この二殿並立の形式は、伊勢神宮の内宮・外宮に通じるものがあり、上賀茂神社の格式の高さを象徴しています。

通常参拝では本殿・権殿は瑞垣(みずがき)の外からの拝観となりますが、特別参拝(大人500円)に申し込むと神職の案内で瑞垣の内側に入ることができ、間近で国宝建築を拝観できます。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根、朱塗りの柱、白壁のコントラストが美しく、平安時代から続く神社建築の粋を目の当たりにすることができるでしょう。上賀茂神社を訪れるなら、ぜひ特別参拝を体験されることをおすすめします。

3. 楼門と玉橋——朱塗りの門が迎える神域への入口

二の鳥居をくぐり芝生の参道を進むと、正面に見えてくるのが鮮やかな朱塗りの楼門です。重要文化財に指定されたこの楼門は、上賀茂神社の社殿群の中でも最も華やかな建物の一つで、高さ約13メートルの堂々たる姿が参拝者を出迎えます。楼門の手前には、これも重要文化財の玉橋(たまばし)が御手洗川に架かっており、朱塗りの欄干と清流の組み合わせが絵画のように美しい光景を生み出しています。

楼門をくぐると、中門、そしてその奥に本殿・権殿の瑞垣が見えてきます。この楼門から本殿に至る空間は、俗世と神域の境界を象徴しており、一歩ずつ奥へ進むごとに空気が凛と引き締まっていくのを感じるでしょう。特に早朝の参拝では、朝日に照らされた楼門の朱色が一層鮮やかに映え、神聖な雰囲気が際立ちます。

楼門の建築様式にも注目してみてください。入母屋造・檜皮葺の屋根に、上層と下層で異なるデザインの格子窓が配されており、平安時代の宮殿建築の要素と神社建築の美しさが融合しています。玉橋は通常渡ることはできませんが、その脇にある参拝用の橋を渡って楼門へ向かいます。新緑や紅葉の季節には、楼門と玉橋を取り囲む木々の色彩が加わり、四季折々の美しさを楽しむことができます。

4. 神馬(しんめ)——神に仕える白馬

上賀茂神社の境内には、神馬舎(しんめしゃ)と呼ばれる馬小屋があり、ここに白い神馬が飼育されています。神馬とは神に仕える馬のことで、上賀茂神社では古来より白馬を神馬として大切に育ててきました。日曜日や祝日、祭事の際には神馬が境内を歩く姿を見ることができ、参拝者を和ませる人気の存在です。

上賀茂神社と馬の関係は非常に深く、平安時代には賀茂競馬(かもくらべうま)が行われていました。これは5月5日の端午の節句に境内の芝生で馬を走らせ、その年の豊凶を占う神事で、現在も毎年5月5日に「賀茂競馬足汰式(あしぞろえしき)」と「賀茂競馬」が奉納されています。約900年の歴史を持つこの神事は、京都市の無形民俗文化財に登録されており、平安時代の宮中行事の姿を今に伝える貴重な催しです。

神馬には触ることはできませんが、柵越しに間近で見ることができます。穏やかな目をした白馬の美しい姿は、特にお子さん連れの参拝者に喜ばれています。なお、神馬の体調や天候によっては見学できない日もありますので、ご了承ください。上賀茂神社を訪れた際には、ぜひ神馬舎にも足を運んでみてください。

5. ならの小川と御手洗川——境内を流れる清らかな水の風景

上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」と「御手洗川(みたらしがわ)」は、この神社の清浄さを象徴する存在です。御手洗川は本殿の東側を流れ、楼門前の玉橋の下を通り抜けていきます。その水は驚くほど透明で、川底の小石一つひとつまではっきりと見えるほどです。夏でもひんやりと冷たいこの清流は、古来より禊(みそぎ)の場として使われてきました。

百人一首にも詠まれた「ならの小川」は、御手洗川が境内を出た後の名称で、「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」(藤原家隆)の歌は、夏の京都の風情を伝える名歌として知られています。この歌に詠まれているように、旧暦6月の夏越の祓(なごしのはらえ)では、ならの小川に人形(ひとがた)を流す神事が行われ、半年間の罪穢れを祓い清めます。

境内を散策する際には、小川のせせらぎに耳を傾けながら歩いてみてください。特に新緑の季節には木漏れ日が水面にきらめき、幻想的な光景が広がります。夏には川辺に涼を求めて座る人々の姿も見られ、京都の暑い夏にひとときの清涼を与えてくれます。上賀茂神社が「水の神社」とも呼ばれる所以を、実際に訪れて体感してみてください。

周辺の観光スポット

下鴨神社(賀茂御祖神社)——賀茂社のもう一つの聖域

上賀茂神社から南へ約3キロメートル、賀茂川と高野川が合流する地点に鎮座する下鴨神社は、上賀茂神社とともに「賀茂社」を構成するもう一つの聖域です。正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」で、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の母である玉依媛命と、祖父である賀茂建角身命を祀っています。つまり下鴨神社は上賀茂神社の「親社」にあたり、両社を合わせて参拝することで賀茂一族の神話の全体像を理解することができます。

上賀茂神社から下鴨神社へは、賀茂川沿いを歩いて約40分、バスでは約15分で到着します。葵祭の際には行列が下鴨神社を経由して上賀茂神社へ向かうため、両社を結ぶルートは「葵祭の道」としても親しまれています。同じく世界文化遺産に登録されている下鴨神社も見どころが豊富で、原生林の「糺の森」や縁結びのパワースポット「相生社」など、上賀茂神社とはまた異なる魅力を持っています。ぜひ両社を合わせて訪れ、賀茂社の壮大な世界観を体感してみてください。

大徳寺——禅宗文化の宝庫

上賀茂神社から南西へ約2キロメートル、バスで約10分の場所にある大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山です。一休宗純(一休さん)や千利休とゆかりの深い禅寺で、境内には20を超える塔頭寺院が立ち並びます。常時公開されている高桐院(こうとういん)や大仙院(だいせんいん)では、枯山水庭園の傑作を鑑賞することができます。

上賀茂神社で神道の清浄な世界を体感した後に大徳寺で禅の精神に触れるという組み合わせは、京都の宗教文化を多角的に楽しめるおすすめのコースです。大徳寺の門前には京都の老舗和菓子店も点在しており、参拝後のひと休みにも最適です。秋の紅葉シーズンには高桐院の参道が真っ赤に染まり、金閣寺方面と合わせた北山エリアの周遊コースとしても人気があります。

京都府立植物園——四季の花々と自然を満喫

上賀茂神社から南へ約1.5キロメートル、徒歩約20分の場所にある京都府立植物園は、大正13年(1924年)に開園した日本最古の公立総合植物園です。約24ヘクタールの広大な敷地に約12,000種類もの植物が栽培されており、四季を通じて美しい花々を楽しむことができます。特に春のチューリップ畑や桜林、秋のバラ園は見事です。

植物園は上賀茂神社参拝と組み合わせるのに最適な施設で、神社参拝の前後にゆったりと自然を満喫できます。園内には日本最大級の温室もあり、熱帯植物から高山植物まで幅広い植物を鑑賞できます。入園料は大人200円と手頃で、賀茂川沿いの散歩を楽しみながら両施設を巡るのがおすすめのルートです。嵐山の自然とはまた違った、整えられた庭園美を堪能してみてください。

アクセス方法

電車でのアクセス

  • 京都市営地下鉄烏丸線:北山駅より市バス4系統で約10分「上賀茂神社前」下車
  • JR京都駅から:地下鉄烏丸線で北大路駅下車 → 市バス北3系統で約15分「御薗口町」下車、徒歩約3分
  • 京阪電車:出町柳駅より市バス4系統で約30分「上賀茂神社前」下車

バスでのアクセス

  • 京都市バス4系統「上賀茂神社前(御薗橋)」下車すぐ
  • 京都市バス北3系統「御薗口町」下車、徒歩約3分
  • JR京都駅から市バス9系統で約40分「上賀茂御薗橋」下車、徒歩約3分

車でのアクセス

  • 名神高速道路 京都南ICから約30分
  • 上賀茂神社に無料駐車場あり(約170台、繁忙期は臨時駐車場も開設)
  • 葵祭や初詣期間中は駐車場が混雑するため、公共交通機関の利用を推奨

おすすめのアクセス方法

上賀茂神社は京都市中心部からやや離れた場所に位置しているため、バスの利用が最も便利です。JR京都駅からは市バス9系統が直通で約40分、四条河原町からは市バス4系統で約30分です。地下鉄北大路駅からバスに乗り換えるルートも比較的スムーズで、北大路バスターミナルからは北3系統で約15分です。下鴨神社と合わせて訪れる場合は、市バス4系統が両社を結んでいるので便利です。なお、上賀茂神社には無料の駐車場が完備されているため、車でのアクセスも選択肢の一つです。ただし、繁忙期は混雑が予想されますのでご注意ください。

まとめ

上賀茂神社は、1,300年以上の歴史を持つ京都最古の神社の一つであり、国宝の本殿・権殿、神秘的な立砂、京都三大祭の葵祭など、他の神社にはない唯一無二の魅力を持つ世界遺産です。21回にわたる式年遷宮の伝統が今なお受け継がれていることは、日本の神道文化の奥深さを象徴しています。広大な境内に流れる清らかな小川と、静寂に包まれた神域の空気は、訪れる人の心を洗い清めてくれることでしょう。

下鴨神社と合わせた「賀茂社巡り」や、金閣寺・大徳寺を含めた北山エリアの周遊コースなど、上賀茂神社を起点とした京都観光の楽しみ方は無限に広がります。京都の奥深い歴史と文化に触れたい方は、ぜひ上賀茂神社を訪れてみてください。

よくある質問

1

A.境内を一通り散策する場合は約1時間が目安です。特別参拝(本殿・権殿の拝観)を含めると約1時間半〜2時間をみておくとよいでしょう。社家町の散策も加えると半日ほど過ごすことも可能です。

2

A.境内の参拝は無料です。特別参拝(本殿・権殿の拝観)は大人500円で、神職案内付きの約30分ツアー形式です。土日祝を中心に実施されていますが、日程は変動するため事前に公式サイトでご確認ください。

3

A.特におすすめは5月と秋です。5月15日の葵祭は京都三大祭の一つで平安装束の行列は必見です。秋は境内の紅葉が美しく、11月中旬〜下旬が見頃です。1月の初詣期間も活気があります。

4

A.門前の「神馬堂」の焼餅(やきもち)が有名です。白い餅の中に粒あんが入った素朴な焼餅は参拝帰りの定番です。売り切れ次第終了なので午前中の訪問がおすすめです。社家町の「なり田」のすぐき漬けも上賀茂の名産品です。

5

A.はい、十分に可能です。上賀茂神社から下鴨神社へは市バスで約15分、徒歩で約40分です。両社を合わせて3〜4時間あれば十分に回れます。葵祭の時期には「葵祭の道」を歩くのも趣があります。

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