🕓 2023/4/12
#グルメ
神奈川県のグルメは、豊かな自然環境と歴史的背景から生まれた多彩な料理が特徴です。神奈川県は、海に囲まれた地理的な利点を活かし、豊富な海産物を楽しむことができます。特に湘南エリアや横須賀は、新鮮な魚介類を使った料理が豊富です。また、横浜や鎌倉といった観光地では、歴史的な食文化が現代に受け継がれ、多くの観光客を魅了しています。
現代の神奈川県のグルメシーンは、伝統と革新が融合した多様な食文化が楽しめるのが魅力です。横浜中華街は、日本最大級の中華街として知られ、本格的な中華料理が楽しめるほか、異国情緒あふれる街並みも魅力です。
一方で、地元の食材を活用した「ローカルフード」に対する関心も高まっています。例えば、湘南エリアのしらす丼は、朝獲れの新鮮な生しらすを使った料理として人気があります。また、横須賀の海軍カレーは、旧日本海軍のレシピを基にしたカレーで、観光客にも広く知られています。さらに、横浜家系ラーメンは、濃厚な豚骨醤油スープともちもちとした中太麺が特徴で、全国的に人気のラーメンスタイルです。
湘南エリアで楽しめるしらす丼は、新鮮さと独特の風味が魅力です。特に江ノ島や鎌倉では、地元の漁港から直送されるしらすを使用した丼が人気です。しらす丼の一番の魅力は、その新鮮さにあります。湘南エリアでは、朝獲れの生しらすがすぐに地元の食堂やレストランに運ばれ、その日のうちに提供されます。生しらすはぷりぷりとした食感とほのかな甘みが特徴で、新鮮なものほどその味わいが際立ちます。
味だけでなくロケーションも特別です。例えば、江ノ島の「魚見亭」や「江ノ島亭」では、テラス席から相模湾の絶景を眺めながら食事を楽しむことができます。晴れた日には、海の向こうに富士山が見えることもあり、食事がさらに特別な体験になります。湘南エリアのしらす漁は、一艘曳きという漁法を採用しており、しらすが傷む前にすばやく捕獲されます。これにより、最高の鮮度を保ったしらすが市場に出回ります。地元の漁師たちは、しらすの品質に非常にこだわっており、その努力が美味しいしらす丼として結実しています。
相模湾の豊かな漁業資源と深い文化的背景に根ざしています。江戸時代後期からしらす漁が行われていた相模湾は、日本三大深湾の一つとして知られ、豊富な栄養分が海底に積もることで、多くの魚が生息する好漁場となっています。特に1980年代には、地元の漁師たちがしらすを加工し直売するスタイルを確立し、「湘南しらす」が地元の名物として広まりました。この時期に設立された「神奈川県しらす船曳網漁業連絡協議会(通称:しらす協議会)」が品質向上とブランド化を推進しました。
しらす丼の普及は、しらす漁の発展とともに進んできました。相模湾沿岸では、3月から12月にかけてしらす漁が行われ、春の「春しらす」、夏の「夏しらす」、秋の「秋しらす」といった具合に、季節ごとの新鮮なしらすが市場に出回ります。このため、湘南地域の飲食店では、新鮮なしらすを使ったしらす丼が提供されるようになりました。
このカレーは、旧日本海軍の食文化に由来しており、特に明治時代後期に発行された「海軍割烹術参考書」のレシピを基に復元されています。横須賀市は1999年に「カレーの街」を宣言し、以来、横須賀海軍カレーは地域活性化のシンボルとして広く親しまれています。その歴史とレシピの忠実な再現にあります。当時の海軍では、栄養バランスを考慮し、カレーにはサラダと牛乳がセットで提供されていました。この伝統を受け継ぎ、現代でも多くの店舗で同様のスタイルで提供されています。
また、横須賀では観光客向けに多様なカレーメニューが提供されています。例えば、横須賀海軍カレー本舗では、「島風カレー」や「天龍カレー」など、軍艦の名前を冠したユニークなカレーが人気です。これらのカレーは、具材やトッピングに工夫が凝らされ、見た目も楽しい一品となっています。
横須賀は海軍と共に歩んできた街であり、その背景には日本のカレーライスのルーツが存在します。明治時代後期、海軍の兵食としてカレーが取り入れられたのは、脚気(かっけ)という病気の予防が目的でした。海軍軍医の高木兼寛が、イギリス海軍のカレー風シチューを参考に、小麦粉でとろみをつけたカレーをライスにかけて提供したことが始まりです。このメニューは栄養バランスが良く、脚気の予防に効果がありました。
1999年、横須賀市は「カレーの街」を宣言し、地域活性化を図るために「よこすか海軍カレー」を復元しました。このカレーは、明治41年(1908年)に発行された「海軍割烹術参考書」のレシピを基にしています。具材には牛肉や鶏肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなどが使われ、カレー粉と小麦粉で作ったルーをじっくり煮込んでいます。また、サラダと牛乳が必ずセットになっているのも特徴です。
家系ラーメンは1974年に「吉村家」で誕生し、横浜を代表するラーメンスタイルとなりました。このラーメンは豚骨と鶏ガラをベースにしたスープが特徴で、醤油ダレと鶏油(チーユ)を加えることで、まろやかでコクのある味わいが楽しめます。スープの濃厚さと麺の特徴も家系ラーメンの魅力の一つです。家系ラーメンの麺は中太で、もちもちとした食感がスープによく絡み、食べ応えがあります。また、トッピングにはほうれん草、チャーシュー、海苔が定番で、これらの具材がラーメン全体の味を一層引き立てます。
さらに、家系ラーメンはその発祥地である横浜で食べることに特別な意味があります。現地では多くの名店があり、それぞれが独自のアレンジを加えた家系ラーメンを提供しています。例えば、「吉村家」は元祖家系ラーメンとして知られており、その濃厚なスープとしっかりとした麺が特に人気です。他にも、杉田家は、横浜家系ラーメンの総本山である「吉村家」の直系第1号店として知られています。1999年に吉村家で修行を積んだ津村進氏によって開店されました。杉田家は、吉村家の厳しい修行を乗り越えた店主が提供するラーメンとして、多くのファンに愛されています。
横浜家系ラーメンの歴史は、1974年に「吉村家」が創業されたことに始まります。吉村実氏が開業したこの店が、家系ラーメンの発祥地とされ、豚骨醤油ベースの濃厚なスープと中太麺が特徴です。
吉村家での修行は非常に厳しいことで有名です。1999年にテレビ東京で放送された「横浜家系ラーメン 吉村家 地獄の修業 180日」という番組でもその過酷さが紹介されました。修行では、早朝から夜遅くまでの長時間労働や、厳しい衛生管理、麺やスープの作り方に関する細かい指導などが行われます。こうした厳しい訓練を経て、初めて独立を許されるのです。
吉村家の成功に続き、弟子や孫弟子たちが次々と独立し、「○○家」と名のつく店舗が増えていきました。これにより、家系ラーメンは横浜市内だけでなく神奈川県全域、そして全国へと広がっていきました。1980年代から1990年代にかけて、「六角家」や「本牧家」といった名店も登場し、家系ラーメンの人気をさらに押し上げました。
2000年代になると、家系ラーメンは「資本系」や「工場系」と呼ばれるチェーン店も登場し、全国的に展開されるようになりました。これにより、「家系ラーメン」というジャンルが確立され、多くの人々に親しまれるようになりました。