はじめに
熊野三山(くまのさんざん)は、和歌山県南部にある熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の総称です。平安時代には上皇や貴族が、のちには武士や庶民までが参詣し、その列は「蟻の熊野詣で」と例えられました。2004年に世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録され、現在は年間約100万人が訪れます。

熊野三山の概要
三社は、山あいの本宮、海に近い新宮市、那智山と、それぞれ離れた場所に鎮座しています。
| 名称 | 熊野本宮大社 | 熊野速玉大社 | 熊野那智大社 |
|---|---|---|---|
| 所在地 | 和歌山県田辺市本宮町本宮1110 | 和歌山県新宮市新宮1 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
| 主祭神 | 家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ) | 熊野速玉大神・熊野夫須美大神 | 熊野夫須美大神 |
| 別称 | 本宮さん | 新宮さん | 那智さん |
| 拝観時間 | 8:00〜17:00 | 6:00〜17:00(開門時間) | 社務所受付 8:00〜16:30頃 |
| 拝観料 | 境内無料(宝物殿300円・土日祝のみ開館) | 境内無料(熊野神宝館は大人500円) | 境内無料(那智山青岸渡寺は別途) |
| 定休日 | 年中無休 | 年中無休 | 年中無休 |
| 世界遺産 | 2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録 | ||
※最新情報は各社の公式サイトをご確認ください。
熊野三山は、神道・仏教・山岳信仰が融合した神仏習合の聖地です。本地垂迹説により、本宮の主神は阿弥陀如来、速玉は薬師如来、那智は千手観音の化身とされ、身分を問わず誰もが参詣できる場所とされてきました。

熊野三山の歴史
第1期 — 原始の神体山信仰から創祀の時代
「熊野」の地名は、「隈(くま)」=奥まった場所に由来するとも、「隈野」=暗い野に由来するともいわれます。険しい山と深い森に囲まれたこの地は、神霊が宿り、死者の魂が向かう黄泉の国(よみのくに)への入口と考えられていました。
創祀の伝承は三社それぞれにあります。本宮大社は第10代崇神天皇の時代に熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)として創建されたと伝わります。速玉大社は、神倉山(かみくらやま)のゴトビキ岩に降臨した神を「新宮(にいみや)」に移したのが始まりとされます。那智大社は、那智の滝そのものを御神体として崇めたことに始まります。
『日本書紀』(720年)には、熊野に上陸した神武天皇を八咫烏(やたがらす)が大和へ道案内したという東征伝説が記されています。熊野はイザナギ・イザナミの神話とも関わりの深い土地です。
仏教伝来(6世紀)以降は本地垂迹説が広まり、熊野は極楽浄土への入口として、また現世利益を願う場として信仰を集めるようになります。これが後の参詣ブームの土台になりました。
第2期 — 院政期の参詣ブームと「蟻の熊野詣で」
熊野信仰が大きく広がったのは、平安時代後期(11〜12世紀)の院政期です。白河上皇(在位1072〜1086年)以降、上皇たちが繰り返し熊野に詣で、その回数は白河上皇9回、鳥羽上皇21回、後白河上皇34回と記録されています。
御幸には数百人〜千人規模の行列が伴い、道中の王子に参拝しながら歩くこと自体が修行とされました。「九十九王子(くじゅうくおうじ)」と呼ばれる数多くの参詣地が整えられ、熊野古道は道そのものが信仰の場になります。
上皇に続いて貴族・武士・庶民も熊野を目指し、その多さは「蟻の熊野詣で」と例えられました。女人禁制の霊山が多いなか、熊野は女性の参詣も受け入れていました。上皇の寄進によって社殿が建て替えられ、熊野神社の分社も各地に勧請されるようになります。
第3期 — 武家社会と熊野修験道の展開(鎌倉〜室町時代)
鎌倉幕府の成立(1185年)以降は、武士の間にも熊野の神々への信仰が広がり、戦勝祈願の参詣も行われました。
鎌倉〜室町時代には、熊野三山の運営を担う「熊野修験」が発展します。修験道(しゅげんどう)は山岳での厳しい修行によって霊力を得ようとする日本独自の信仰で、仏教・神道・道教の要素が混ざり合っています。修験者は「先達(せんだつ)」として参詣者を案内し、各地に熊野信仰を広めました。
応仁の乱(1467年〜)以降の戦乱期には、参詣者の減少、荘園制の崩壊による収入減、兵火による社殿の損壊が重なり、熊野三山は苦しい時代を迎えます。その後、豊臣秀吉が天正19年(1591年)に本宮大社・速玉大社へ社領を寄進し、徳川家康も慶長6年(1601年)に社領を安堵したことで、三山は回復に向かいました。
第4期 — 江戸時代の庶民信仰と「熊野詣で」の再興
江戸時代(1603〜1868年)になると、熊野詣では庶民の旅になります。伊勢参りを済ませてから熊野三山へ向かうのが定番で、紀伊半島を巡る往復数十日〜数か月の大旅行でした。
熊野比丘尼(くまのびくに)と呼ばれる尼僧たちは、お札を配りながら「熊野曼陀羅(まんだら)」と呼ばれる絵図で熊野の霊験を語り歩き、全国各地への熊野神社の勧請を後押ししました。
なお、現在の熊野速玉大社の社殿は、明治16年(1883年)の火災で焼失した後、昭和42年(1967年)に再建されたものです。

第5期 — 明治以降の神仏分離と世界遺産登録
明治維新(1868年)の神仏分離令により、一体だった神社と寺院は切り離されました。那智では如意輪堂が青岸渡寺として分かれ、現在も那智大社と隣り合いながら別の組織として存在しています。
明治22年(1889年)8月の紀伊大水害(十津川大水害)では、増水した熊野川が境内を飲み込み、熊野本宮大社の社殿の大半が流失しました。社殿は現在の高台に再建され、旧社地の大斎原(おおゆのはら)には高さ約34メートルの大鳥居が立っています。
高度経済成長期(1960〜70年代)には参詣者が一時減りましたが、1990年代以降に再び関心が高まり、2004年に熊野三山と熊野古道はユネスコ世界文化遺産に登録されました。
熊野古道は1998年にスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と姉妹道提携を結んでおり、両方の道を歩いた人を「共通巡礼者(Dual Pilgrim)」として認定する取り組みも行われています。

見どころ・おすすめスポット
1. 熊野本宮大社——全国の熊野神社の総本宮
熊野古道・中辺路の終着点にある熊野本宮大社は、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ、素戔嗚尊とされる)を主祭神とし、全国に4,700社以上ある熊野神社の総本宮とされています。
現在の社殿は明治22年の水害後に高台へ再建されたもので、杉木立に囲まれています。4月に例大祭が行われます。
旧社地の大斎原(おおゆのはら)は本宮大社から徒歩約10分の熊野川沿いにあり、高さ約34メートル、幅約42メートルの大鳥居が田畑の中に立ちます。かつての社殿は1889年の水害で失われ、現在は流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が残ります。
八咫烏は神武天皇を大和国(現・奈良)へ導いた三本足の烏で、日本サッカー協会のシンボルマークにも使われています。本宮大社のお守りや御朱印にも八咫烏があしらわれています。
2. 熊野那智大社と那智の滝——落差133メートルの御神体
熊野那智大社は那智山の中腹に鎮座し、熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)を主祭神とします。隣接する青岸渡寺(せいがんとじ)の三重塔と那智の滝を一緒に収める眺めは、那智山を代表する景観です。
那智の滝は落差133メートルで、一段の滝としては日本一とされます。滝壺の深さは約10メートル。滝そのものが飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の御神体で、滝前の拝所から見上げて参拝でき、滝の水を飲むこともできます。
那智大社の朱塗りの社殿は深い森を背に建ち並びます。境内には樹齢800年以上とされる大楠があり、幹の空洞をくぐり抜ける「胎内くぐり」ができます。
青岸渡寺は西国三十三所の第一番札所です。三重塔(大人500円で登楼可能、2026年9月時点)の上階からは那智の滝を望めます。
3. 熊野速玉大社——神木ナギと神倉山のゴトビキ岩
熊野速玉大社は新宮市の中心部にあり、熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)と熊野夫須美大神を主祭神とします。神倉山に降臨した神を新たな宮に移したという創祀伝承が「新宮」の名の由来です。
境内の神木ナギは国の天然記念物で、高さ約17.6メートル、幹周り約4.5メートル、樹齢約1,000年と推定されます。ナギは「凪」に通じることから航海安全の木、葉が横にちぎれにくいことから縁結びの木とされ、ナギの葉を納めたお守りは熊野土産の定番です。
速玉大社から徒歩約20分の神倉神社は速玉大社の摂社で、熊野信仰発祥の地とされます。源頼朝の寄進と伝わる538段の急な石段を上ると、高さ12メートルの巨岩「ゴトビキ岩」(ゴトビキはこの地方の言葉でヒキガエル)があり、岩の上に小さな社が建っています。ここからは新宮市街と熊野灘を見下ろせます。
毎年2月6日の「お燈まつり(おとうまつり)」は神倉神社の例大祭で、白装束の男たちが松明を手に538段の石段を一斉に駆け下ります。
4. 熊野古道(中辺路)——世界遺産の巡礼路を歩く
熊野古道には複数のルートがあり、最もよく歩かれているのは田辺市から熊野本宮大社を目指す約65キロメートルの「中辺路(なかへち)」です。
初めてなら、バスで発心門王子(ほっしんもんおうじ)まで行き、熊野本宮大社まで約7キロメートル、約2時間を歩く区間が歩きやすいでしょう。杉木立の石畳と王子跡が続きます。
田辺から数日かけて全行程を歩く場合、滝尻王子(たきじりおうじ)が中辺路の入口で、ここから先が「熊野の聖域」とされてきました。
歩きやすいのは春(3〜5月)と秋(10〜11月)です。夏は高温多湿で熱中症のリスクがあり、梅雨時期(6月)は路面が滑りやすくなります。ハイキングシューズ・雨具・十分な水と行動食を用意してください。
5. 熊野三山「御朱印」巡りと那智黒飴——熊野土産の文化
三社の御朱印には八咫烏をあしらったものがあり、専用の御朱印帳も授与されています。
1日で三社の御朱印を受けるなら、午前中に那智大社・飛瀧神社・青岸渡寺、昼過ぎに速玉大社、夕方前に本宮大社という順が現実的です。受付時間は各社で限られているため、事前に確認してください。
熊野の名物には、高菜の葉で包んだ「めはり寿司」、棒押しの「さんま寿司」、「那智黒飴」があります。勝浦漁港は日本有数のマグロの水揚げ港で、那智勝浦町ではマグロ料理が味わえます。古道歩きの後は湯の峰温泉や川湯温泉に泊まるのも定番です。

周辺の観光スポット
1. 伊勢神宮——江戸時代は熊野詣でとセットの参詣先
熊野から北に約200キロメートル、三重県伊勢市の伊勢神宮は、皇室の祖神・天照大御神を祀ります。江戸時代には伊勢参りの後に熊野へ向かうのが定番で、現在も伊勢と熊野を2泊3日〜3泊4日で巡るルートがあります。
2. 出雲大社——日本神話ゆかりの縁結びの神
島根県の出雲大社は、縁結びの神・大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀ります。熊野とは地理的に離れていますが、どちらも日本神話と関わりが深く、神話ゆかりの地を巡る旅で組み合わせることができます。
3. 高野山金剛峯寺——熊野三山と結ぶ「小辺路」の聖地
和歌山県高野町の高野山金剛峯寺は、弘法大師・空海が開いた真言密教の総本山です。熊野古道の「小辺路(こへち)」で熊野本宮と結ばれており(約70キロメートル)、両者を歩いてつなぐ巡礼も行われています。
アクセス方法
三社はいずれも紀伊半島の南部にあり、大阪・名古屋からは電車・車ともに3時間半〜4時間ほどかかります。
熊野本宮大社へのアクセス(公共交通)
JR新宮駅から熊野御坊南海バスまたは奈良交通の路線バスで「本宮大社前」まで約80分。大阪方面からは、JR特急くろしおで紀伊田辺駅(新大阪から約130分)へ行き、龍神バス・明光バスの路線バスで約2時間(明光バスの快速便は約100分)です。運賃・時刻は各バス会社の公式サイトで確認してください。
熊野速玉大社へのアクセス(公共交通)
JR紀勢本線・新宮駅から徒歩約15〜20分、またはタクシーで約5分。電車では大阪(天王寺)から特急くろしおで約4時間、名古屋から特急南紀で約3時間30分で新宮駅に到着します。
熊野那智大社へのアクセス(公共交通)
JR紀勢本線・紀伊勝浦駅から熊野御坊南海バス「那智山」行きに乗車(約30分)。紀伊勝浦駅へは新宮駅からJR普通列車で約25分です。大阪(天王寺)からは特急くろしおで約3時間45分(紀伊勝浦駅まで)。
車でのアクセス
大阪方面から:阪和道・湯浅御坊道路・国道42号を経由して新宮まで約3時間30分〜4時間。名古屋方面から:伊勢道・熊野尾鷲道路・国道42号を経由して新宮まで約3時間30分。三社を効率よく回るには車が便利で、本宮→速玉→那智の順に回ると1日で三社参拝が可能です(移動時間含め約8〜10時間)。
拝観のベストシーズン
春(3〜5月)の新緑と秋(10〜11月)の紅葉の時期がおすすめです。那智の滝は梅雨時期(6月)に水量が増しますが、古道歩きには不向きです。夏(7〜8月)は暑さと虫への対策が必要です。
まとめ
熊野三山の見どころは、三社に加えて那智の滝、大斎原の大鳥居、神倉山のゴトビキ岩と広い範囲に分かれています。旅程の組み方は下の「よくある質問」を参考にしてください。自然の中の聖地としては、厳島神社(広島)や伏見稲荷大社(京都)の記事もあわせてどうぞ。



