丸亀城について|歴史や概要を詳しく解説

はじめに

瀬戸内海を望む香川県丸亀市の小高い亀山に、白く輝く天守が凛として立っています。丸亀城です。城内に一歩踏み入れると、まず圧倒されるのが眼前にそびえ立つ巨大な石垣の存在感です。荒々しい野面積みの岩肌が幾層にも積み重なり、その高さは実に60メートルにも達します。日本の城郭に存在する石垣の中で、これほどの高さを誇るものは他にありません。天候の良い日には、石垣の上から穏やかな瀬戸内海と、遠くには淡路島まで見渡すことができ、訪れた人々は思わず息をのみます。

丸亀城が特別な理由は、その石垣の高さだけではありません。明治維新後に断行された廃城令によって、日本全国の城郭の多くが取り壊されたり、長年の風雪で失われたりした中、丸亀城の天守は江戸時代に建てられたそのままの姿で現在まで生き続けています。現存天守を持つ城は日本全国でわずか12城しか存在せず、丸亀城はその貴重な一つに数えられます。国の重要文化財にも指定されており、建物の細部には400年近い歴史の重みが刻み込まれています。

この記事では、丸亀城の歴史的背景から見どころ、周辺の観光スポット、アクセス方法まで詳しく解説します。なぜこの城が「現存天守12城」の中でも特別な存在なのか、日本一の石垣はどのようにして築かれたのか、そして幕末・維新の激動期をいかにして生き残ったのか。丸亀城の全てをご紹介しますので、ぜひ訪問前の参考にしてください。四国・香川への旅を計画されている方にとって、丸亀城は外せない必訪スポットです。城好きの方はもちろん、歴史に詳しくない方でも、その圧倒的な石垣の迫力と瀬戸内海の絶景に感動すること間違いなしです。

丸亀城の全景、亀山に建つ白い天守と三段に積み上げられた巨大な石垣を遠方から望む

丸亀城の概要

丸亀城は香川県丸亀市一番丁に位置し、標高66メートルの亀山(かめやま)に築かれた平山城(ひらやまじろ)です。城の縄張りは南北約540メートル、東西約430メートルにおよぶ広大なものでしたが、現在は本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪の縄張りが残っています。城郭の総面積は約23万平方メートルで、東京ドームのおよそ5個分に相当します。

丸亀城の最大の特徴は、なんといっても「扇の勾配」と呼ばれる美しい石垣です。石垣は本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪と4段に積み上げられており、その合計高さは約60メートルに達します。これは日本の城郭の中で最も高い石垣であり、「日本一の高石垣」として知られています。石垣の積み方は、主に加工していない自然石を組み合わせる「野面積み(のづらづみ)」と、石を粗く加工して積む「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」が混在しており、時代によって工法が異なることが分かります。

天守は三重三階の層塔型で、外観は三層に見えますが内部は三階建てです。高さは約15メートルと決して大きくはありませんが、60メートルの石垣の上に建っているため、実際には75メートルの高さから瀬戸内海を見渡すことができます。天守の建築年代は1660年(万治3年)とされており、現存する天守の中でも比較的保存状態が良く、当時の建築技術を今に伝えています。

丸亀城 基本情報
正式名称丸亀城(亀山城とも呼ばれる)
所在地香川県丸亀市一番丁
城の形式平山城(連郭式縄張り)
築城年1597年(慶長2年)
天守建築年1660年(万治3年)
天守形式三重三階層塔型、独立式
石垣の高さ約60メートル(日本一)
文化財指定天守・大手門:国重要文化財
開城時間9:00〜18:00(天守入城は17:30まで)
入城料大人200円、子供100円(天守のみ)
定休日年中無休(12月25日〜31日は天守内部のみ休み)
電話番号0877-22-0331(丸亀市観光課)

丸亀城は「現存天守12城」の一つとして全国的に高い知名度を誇ります。現存天守とは、江戸時代以前に建てられた天守が取り壊されることなく現代まで残っているものを指し、日本全国に12城しかありません。丸亀城はその中でも特に石垣の壮大さで知られており、城郭ファンにとっては四国旅行の最重要目的地の一つです。年間の入城者数は約20万人を数え、香川県を代表する観光スポットとして地域に根ざした存在です。

丸亀城の歴史

築城の始まり 〜生駒親正と讃岐支配〜

丸亀城の歴史は、1597年(慶長2年)に遡ります。豊臣秀吉の命を受けた生駒親正(いこまちかまさ)が讃岐国(現在の香川県)の支配者となり、高松城を本拠地としながら、丸亀の亀山に支城としての丸亀城の築城を始めました。生駒親正は尾張国の出身で、若くして豊臣秀吉に仕え、数々の戦功を挙げた武将です。賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、九州征伐など、秀吉の主要な軍事行動に随行した信頼厚い家臣でした。

築城にあたっては、亀山という自然の地形を最大限に活かした設計が施されました。亀山は標高66メートルとそれほど高くはありませんが、周囲が平野に囲まれているため見晴らしが良く、軍事的な要衝として優れた立地でした。石垣の築造には、讃岐の石垣師(いしがきし)と呼ばれる専門の職人集団が動員されたと伝えられています。特に、当時最先端の技術であった「打込み接ぎ」の工法を採用した本丸石垣は、その精巧さと規模において当時の技術の粋を集めたものでした。

しかし、亀山城の築城は一筋縄ではいきませんでした。1587年(天正15年)から始まった讃岐支配において、生駒氏は地元の土豪勢力との軋轢を抱えており、城の整備は政治的な意味合いも持っていました。また、石材の確保と運搬には膨大な労力が必要で、丸亀周辺の石切り場から切り出した花崗岩を牛車や人力で運ぶ作業が長年にわたって続けられました。城の完成まで数十年を要したとされており、生駒親正の在世中には完全な形での竣工には至らなかったと考えられています。

生駒氏は讃岐の統治において、高松城・丸亀城の二城体制を基盤とした統治機構を整えました。丸亀城は讃岐西部の中心地として、軍事・行政の両面で重要な役割を担うことになります。この時期に築かれた石垣の一部は現在でも観察することができ、初期の野面積みの痕跡が現代の城郭研究においても貴重な資料となっています。

江戸時代の繁栄 〜京極家・山崎家の治世〜

1615年(元和元年)の一国一城令によって、生駒氏は高松城のみを残して丸亀城を廃城にするよう命じられました。その後、1641年(寛永18年)に生駒氏は内紛(生駒騒動)により改易となり、讃岐国は分割されることになります。讃岐西部は山崎家治(やまざきいえはる)に与えられ、丸亀城は再び城郭としての機能を取り戻しました。山崎家は丸亀城の大規模な整備に着手し、天守の建設を推進しました。しかし山崎家は嗣子なく1660年(万治3年)に断絶し、わずか一代で丸亀藩は消滅します。この年に完成したとされる天守は、皮肉にも藩の断絶と時を同じくして竣工しました。

山崎家断絶後の1660年(万治3年)、丸亀藩には京極高和(きょうごくたかかず)が入封します。京極家はかつて近江国(現在の滋賀県)に大きな勢力を持っていた名門で、1600年の関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)につき、後に讃岐国高松藩主となった家柄です。高和は従来の主城であった高松城ではなく、丸亀城を本拠地と定め、城と城下町の整備に力を注ぎました。この決断が丸亀城の発展に大きく寄与することになります。

京極高和の治世において、丸亀城は大幅な改修が行われました。石垣の補修・増強、二の丸・三の丸の整備、そして城下町の計画的な建設が進められました。京極家の時代の丸亀城下は、武家地・町人地・寺社地が整然と区画され、現代の丸亀市の町並みの基礎ともなる都市構造が形成されました。城の東側には内堀・外堀が掘られ、要害としての防御力も高められています。

1694年(元禄7年)には、丸亀藩は京極高豊(たかとよ)の代に丸亀藩(本家)・多度津藩・讃岐一国に分割されます。これにより丸亀藩の石高は5万1,000石となりますが、京極家は幕末まで丸亀藩主として続きます。江戸時代を通じて、丸亀城は城下町と一体となった地域の政治・経済の中心地として機能し続けました。城内には藩校が置かれ、学問を奨励する文治的な政策も推進されました。城下には独自の商業文化も育ち、特に木製の「丸亀うちわ」の生産は江戸中期から始まり、現在に至るまで地域の伝統工芸として受け継がれています。

廃城令と明治以降の苦難

明治維新は丸亀城にとって大きな試練の時をもたらしました。1868年(明治元年)に版籍奉還が行われ、京極家は丸亀藩知事となりました。続いて1871年(明治4年)の廃藩置県により丸亀藩は廃止され、丸亀城は新政府の管轄下に移されます。この時点では城郭建築物は一応保存されていましたが、城郭の政治的・軍事的な意義は失われていました。

1873年(明治6年)、政府は太政官布告によって「廃城令」を発令しました。これは全国の城郭を原則として廃止・解体するという方針を示したもので、多くの城が取り壊しの対象となりました。丸亀城も廃城令の対象となり、一時は天守の取り壊しが検討されました。しかし、地元住民や旧藩士たちの強い保存運動により、天守と大手門は「保存建物」として残されることになります。この保存運動がなければ、今日の丸亀城は存在していなかったかもしれません。

廃城令後、城郭の敷地の多くは陸軍省の管轄となり、後に旧歩兵第12連隊の兵営として利用されました。城内には兵舎・倉庫・練兵場などの軍事施設が建設され、城郭の一部は大きく変容しました。天守や石垣は軍の管理下に置かれましたが、維持管理が十分でなかったために建物の老朽化が進みました。屋根瓦の剥落、木材の腐食など、風雨による損傷が積み重なっていきました。

太平洋戦争中には、丸亀城も軍事利用の対象となりました。城内には防空壕が掘られ、天守は監視所として使用されたとも伝えられています。1945年(昭和20年)の戦争終結後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下では城郭の軍事的利用が禁止され、城地は順次市民の手に返還されていきました。この時期、丸亀城は再びその存続が危ぶまれる状況に置かれましたが、地元の歴史保存への強い意志によって危機を乗り越えました。

明治時代の丸亀城の古写真風の画像、または天守と石垣の古い記録写真

保存・修復の歩み

戦後の丸亀城は、市民の手によって着実に保存・整備が進められてきました。1950年(昭和25年)に文化財保護法が制定されると、翌1951年(昭和26年)には丸亀城天守と大手門が国の重要文化財に指定されました。この指定により、国の補助を受けた本格的な修復事業が可能となり、城の保存に向けた活動が加速しました。

1955年(昭和30年)から1966年(昭和41年)にかけて、天守の解体修理が実施されました。この修理では、老朽化した柱・梁・屋根などを全て取り外して点検・修復する大規模な工事が行われました。工事中には、建築当初の痕跡や建設年代を示す墨書(ぼくしょ)が発見され、天守の建築史を解明する貴重な資料となりました。解体修理によって天守は創建当時に近い姿に復元され、現在見ることのできる美しい天守の外観が整いました。

石垣については、長年の風雨による劣化が続いており、複数回にわたる修復工事が実施されてきました。特に問題となったのが石垣の「はらみ出し」と呼ばれる現象で、石垣が内側から押し出されて膨らんでくる状態です。これは石垣内部への雨水の浸入による地盤の弱体化や、石垣を構成する石材の経年変化によるものです。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災後には、石垣の安全性について改めて調査が行われ、部分的な補修工事が実施されました。

近年では特に重大な石垣崩落事故が発生しました。2018年(平成30年)の西日本豪雨を受けて、翌2019年(平成31年)3月に二の丸西側の石垣の一部が崩落しました。崩落した石垣の長さは約39メートル、高さは最大14.5メートルにもおよぶ大規模なものでした。この崩落を受けて、文化庁・香川県・丸亀市が連携した大規模な石垣修復プロジェクトが始動しています。修復にあたっては、崩落した石材を一つ一つ番号を振って管理し、元の位置に戻す「積み直し」の手法が採用されており、完全復旧には10年以上かかると見込まれています。この修復プロジェクトは石垣技術の継承という観点からも注目を集めており、全国から石垣修復の専門技術者が参加しています。

現代の丸亀城

現在の丸亀城は、城郭と周辺公園が一体となった市民の憩いの場として親しまれています。城内には約1,000本の桜が植えられており、春には桜の名所として多くの花見客が訪れます。城郭の開放時間(夜間)にはライトアップが行われ、幻想的な雰囲気を楽しむことができます。年間の入城者数はおよそ20万人で、四国を代表する観光スポットとして確固たる地位を築いています。

2006年(平成18年)には、城郭の整備に関する調査・検討を行う「丸亀城石垣修理等整備委員会」が設置され、長期的な保存計画の策定が進められています。2019年の石垣崩落を受けた修復工事は現在も継続中であり、仮囲いで覆われた箇所もありますが、工事期間中も天守への入城は可能です。修復工事の現場を間近で見学できる場所も設けられており、城の修復に使われる伝統技術を学ぶ貴重な機会として観光客に公開されています。

2009年(平成21年)には「現存12天守サミット」が丸亀市で開催され、全国12の現存天守を持つ自治体が一堂に会しました。このサミットをきっかけに、現存天守のPR活動が活発化し、「現存12天守」というブランドが全国的に認知されるようになりました。丸亀城はその中でも石垣の壮大さという独自の個性で差別化され、城郭ファンのみならず一般の観光客にも広く愛される観光地となっています。丸亀市は城を中心としたまちづくりに力を入れており、城周辺の整備や観光案内の充実が継続的に進められています。

また、2020年代に入ってからはSNSでの発信力を高める取り組みも行われており、特に夕暮れ時の天守と石垣が夕日に染まる風景や、桜の季節のライトアップの様子が映えるスポットとして若い世代にも人気が高まっています。丸亀城は単なる歴史遺産にとどまらず、現代の観光産業においても香川県の重要な柱となっています。

見どころ・おすすめスポット

丸亀城を訪れたら外せないスポットを厳選してご紹介します。石垣の迫力、現存天守の内部、大手門の威容など、それぞれに異なる魅力があります。

日本一高い石垣

丸亀城の最大の見どころは、何といっても「日本一高い石垣」です。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪の4段に積み重なった石垣の合計高さは約60メートルに達し、日本のすべての城郭の中で最も高い石垣として知られています。石垣の基底部から天守まで続く壮大な景観は、近くで見上げると思わず首が痛くなるほどの迫力があり、初めて訪れた人のほぼ全員が「想像以上だった」と感嘆の声を上げます。

特に圧巻なのが、大手二の門(番所)付近から眺める石垣です。ここから見上げると、4段の石垣が連なって空へと続く光景が正面に広がります。石垣の頂上に小さく見える天守との対比が、石垣の巨大さをより一層引き立てます。カメラを持った観光客が足を止め、何枚も写真を撮る姿が絶えない絶好の撮影ポイントです。

石垣の積み方には、時代によって異なる工法が使われています。最も古い部分では、加工していない自然石をそのまま積み上げる「野面積み(のづらづみ)」が見られます。これは生駒氏の時代(16世紀末〜17世紀初頭)の工法で、素朴で力強い印象を与えます。一方、江戸時代初期以降の石垣では、石材を粗く加工して積む「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」や、石を精密に加工して隙間なく積む「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」が見られます。これらの工法の違いを見比べることができるのも、丸亀城の石垣ならではの楽しみ方です。

石垣の形状には「扇の勾配(おうぎのこうばい)」と呼ばれる特徴があります。石垣の下部が急勾配で、上部に向かうにつれてなだらかになっていく曲線的な形状で、これにより石垣は見た目の美しさと構造的な強さを両立しています。この扇型の勾配は地震や大雨に対する耐久性を高めるとともに、城攻めの際に敵が石垣をよじ登ることを難しくする防御上の機能も持ち合わせています。また、石垣の全体的なフォルムが美しいカーブを描いているため、日本の城郭美の象徴とも言われています。

石垣の見学は、城内のどの場所からでも楽しむことができますが、特におすすめのスポットをご紹介します。城の大手門をくぐった直後の坂道からは、三の丸・二の丸・本丸の石垣が重なり合う壮観な全景を見ることができます。また、三の丸広場からは本丸石垣を至近距離で仰ぎ見ることができ、石垣の大きさを身体全体で実感できます。石垣の迫力を写真に収めるには、早朝や夕暮れ時の斜光が石垣の陰影を際立たせる時間帯が特におすすめです。

丸亀城の石垣を下から見上げたアングル、日本一の高さ60メートルの石垣全景

現存天守閣

丸亀城の天守は、1660年(万治3年)に建てられた三重三階の層塔型天守です。外観は白漆喰(しらしっくい)の白壁と黒い格子窓のコントラストが美しく、端正で凛とした印象を与えます。高さは約15メートルとコンパクトながら、60メートルの石垣の頂上に立つことで、海抜にして約75メートルという眺望を誇ります。現存天守12城の中では最も小さい部類に入りますが、その繊細な美しさは他の天守に引けを取りません。

天守内部に入ると、江戸時代の建築技術が随所に感じられます。急勾配の木造階段を3階まで上がる構造は、防衛上の理由から意図的に急にされており、武具を持った敵が素早く上がれないよう工夫されています。各階の床は分厚い木材が敷かれており、400年近い年月を経た今でも軋みはあるものの確かな強度を保っています。柱や梁には江戸時代の大工による墨書が残されており、城郭の建築史研究における第一次資料として学術的にも高い価値を持っています。

天守最上階(三階)からの眺望は、丸亀城訪問のハイライトとも言える体験です。天気の良い日には、眼下に広がる丸亀市の市街地と田園地帯、その先に広がる穏やかな瀬戸内海の青い海、そして遠くには小豆島や淡路島の島影まで見渡すことができます。眼下の城下町から続く碁盤の目状の街路は、江戸時代の都市計画の名残を現代に伝えています。四国の山々も望むことができ、特に晴れた秋の日には讃岐富士(飯野山)の美しい山容も確認できます。

天守内部では、丸亀城の歴史に関する展示物も見ることができます。歴代城主である生駒氏・山崎氏・京極氏の略歴や関連資料が展示されており、城の歴史を学びながら見学することができます。また、天守に上る過程で二の丸の跡地を通るため、かつての城郭の構造を実際に歩きながら確認することができます。天守入城の所要時間は、混雑時でも30〜45分程度です。

天守の外観は、季節や時間帯によって異なる表情を見せます。青空に映える白い天守は晴天の日に最も美しく、曇りの日にはモノトーンの絵画のような趣があります。夜間のライトアップでは、石垣と天守が金色の光に浮かび上がり、昼間とは全く異なる幻想的な雰囲気を醸し出します。四季を通じていつ訪れても発見がある、奥の深い建築です。

大手門・番所丸

丸亀城の正面玄関にあたる大手門(おおてもん)は、天守と並んで国の重要文化財に指定された歴史的建造物です。二の丸の南側に位置し、高麗門(こうらいもん)形式と渡櫓門(わたりやぐらもん)形式の二重構造になっています。大手一の門と大手二の門が内枡形(うちますがた)を形成しており、攻め入る敵を一度狭い空間に誘い込んで三方から攻撃できるよう設計された高度な防御機能を持っています。

大手一の門は1670年(寛文10年)の建立で、切妻屋根(きりつまやね)の高麗門形式です。門の柱は直径40センチ以上の太い木材が使われており、今なお堂々とした存在感を放っています。大手二の門は1660年(万治3年)の建立で、こちらは二階建ての渡櫓門形式です。一の門と二の門の間には、番所(ばんしょ)が設けられており、藩士が常時警備にあたっていました。この内枡形の構造は、戦国時代の防御思想の集大成ともいうべき設計で、城郭ファンにとって必見のポイントです。

大手門から続く坂道は「見返り坂」とも呼ばれ、歩きながら振り返ると大手門と石垣の重なりが美しい構図を作り出します。坂道の両側には石垣が連なり、かつての城下町への道のりが今も感じられる風景です。坂の傾斜は決して緩やかではなく、本丸まではかなりの登り坂が続きます。体力に自信のない方は、途中の三の丸広場で休憩を取りながら進むのがおすすめです。

番所丸(ばんしょまる)は大手門近くに位置する曲輪(くるわ)で、かつて警備の兵士が詰めていた場所です。現在は整備された公園スペースとなっており、丸亀城の石垣全体を眺めるのに最適なビュースポットの一つです。ここからは大手門・石垣・天守が一直線に並ぶ構図で撮影することができ、丸亀城の勇姿を画面に収める絶好のアングルが得られます。

大手門周辺には城に関する説明板が設置されており、城の建築的な特徴や歴史的な背景について詳しく学ぶことができます。城郭の建築様式に詳しい方も、そうでない方も、説明板を読みながらじっくりと大手門の細部を観察すると、多くの発見があります。特に、梁や桁に施された装飾の細工や、屋根瓦の文様には当時の職人技が光っています。

丸亀城三の丸広場

三の丸広場は、本丸石垣の直下に広がる広大な平地スペースです。城郭内で最も広い平坦地であり、かつては藩の主要な施設が立ち並んでいた場所です。現在は芝生の公園として整備されており、市民の憩いの場として幅広い世代に利用されています。三の丸広場に立つと、真正面に本丸石垣が迫り、その圧倒的な高さを身体全体で感じることができます。

三の丸広場から見上げる本丸石垣は、丸亀城で最も壮観な眺めの一つです。石垣の高さは本丸部分だけで約22メートルあり、これに二の丸・三の丸の石垣を加えた総高さは約60メートルに達します。石垣の表面を覆う花崗岩の肌理(きめ)が、光の当たり方によって様々な表情を見せます。朝の斜光が当たる時間帯には石垣の凹凸が際立ち、立体的な迫力が増します。夕暮れ時には石垣が赤く染まり、特別な風情を醸し出します。

春の桜の季節になると、三の丸広場は桜の名所に変身します。広場の周囲を取り囲む桜並木が一斉に開花すると、薄紅色の花のカーテン越しに石垣と天守が見え、この上なく美しい光景が生まれます。お花見の場所取りをするほど人気のスポットで、週末には多くの花見客が訪れます。地元の人々にとっては毎年恒例の行事であり、丸亀城の桜は地域の春の風物詩として深く根付いています。

三の丸広場には、丸亀城に関する資料を展示する施設も設けられています。城の歴史を紹介するパネル展示や、石垣の修復プロジェクトの進捗状況を伝える展示が行われており、城への理解を深めることができます。また、スタンプラリーの押印場所も設けられており、城郭スタンプ集めを楽しむファンにも人気のスポットです。

三の丸広場は本丸への登城路の途中に位置するため、体力に合わせて見学のペースを調整するのに適した休憩スポットでもあります。広場には水飲み場が設置されており、特に夏場の訪問時には適宜水分補給を行いながら城内を巡ることをおすすめします。売店や茶屋も営業しており、うどんや地元のお土産を楽しむこともできます。城好きの方もそうでない方も、三の丸広場はのんびりと過ごすのに最適な場所です。

丸亀城三の丸広場から見上げる本丸石垣の迫力ある全景、広場の芝生と石垣のコントラスト

春の桜と夜間ライトアップ

丸亀城が特に美しく輝く季節は、春の桜の季節です。城内には約1,000本の桜が植えられており、満開時には城郭全体が花のベールに包まれたような壮観な眺めになります。丸亀城の桜は主にソメイヨシノで、例年3月下旬から4月上旬にかけて見頃を迎えます。香川県内でも有数の花見の名所として知られており、桜の季節には週末を中心に多くの花見客で賑わいます。

桜と石垣と天守が織りなす景観は、丸亀城の中でも屈指の絶景です。特に三の丸広場から見上げると、石垣を縁取るように咲く桜越しに天守が見え、まるで屏風絵のような美しさです。また、二の丸へと続く坂道の両脇に立ち並ぶ桜並木のトンネルは、花びらが散る時期には雪のように花びらが舞い落ちる光景が見られ、多くの人が足を止めて見入ります。

夜間ライトアップは、丸亀城のもう一つの見どころです。桜の季節には「丸亀城桜まつり」が開催され、期間中は夜間もライトアップが実施されます。ライトアップされた天守は金色の光に包まれ、夜の闇の中で幻想的な輝きを放ちます。石垣に当たる光が石材の凹凸を浮かび上がらせ、昼間とはまた違う迫力と美しさを演出します。夜桜とライトアップの天守を同時に楽しめるこの時期は、丸亀城訪問の最高の季節と言えるでしょう。

桜の時期以外でも、丸亀城の夜間ライトアップは一部の期間で実施されています。特別なイベント時や観光繁忙期には夜間開放が行われることもあるため、訪問前に公式情報を確認することをおすすめします。ライトアップの光の色は季節やイベントによって変わることもあり、季節ごとに異なる雰囲気を楽しむことができます。

秋の丸亀城も見逃せません。秋晴れの空に白い天守が映える晩秋の景観は格別で、城内の樹木が紅葉する時期には、紅葉と石垣と天守のコントラストが楽しめます。また、冬の澄み渡った空気の中で見る丸亀城は、石垣の凛とした表情がより引き立ち、凛冽とした美しさがあります。稀に雪化粧をした丸亀城の姿が見られることもあり、その時の景観は格別に美しいと地元の人々から語り継がれています。丸亀城は四季それぞれに異なる顔を持つ、何度でも訪れたくなる場所です。

周辺の観光スポット

金刀比羅宮

丸亀城から車で約30分、JR琴平駅から徒歩で参道を進んだところにある金刀比羅宮(ことひらぐう)は、全国から年間300万人以上の参拝者が訪れる四国最大級の神社です。通称「こんぴらさん」として親しまれ、航海の神様・大物主神(おおものぬしのかみ)を主祭神として祀っています。象頭山(ぞうずさん)の中腹に鎮座する神社で、本宮まで785段、奥社まで1,368段の石段が続くことで知られています。

石段参道には数多くのお土産屋や飲食店が軒を連ね、参拝前後の散策も楽しいスポットです。参道名物の「加美代飴(かみよあめ)」や「灸まん」などのお菓子は、こんぴら参拝の記念品として広く知られています。参道の籠屋さん(かごや)が担う「加賀の月」の刺繍など、伝統的な参拝文化も残っており、単なる観光スポットにとどまらない深みがあります。

金刀比羅宮の境内には、重要文化財に指定された旭社(あさひしゃ)や、絵馬殿・神楽殿など見どころが多く、丸亀城とセットで半日〜1日かけてゆっくり回るのがおすすめです。丸亀から琴平へのアクセスはJR土讃線で約15分と便利なため、丸亀城観光の翌日や同日のプランに組み込みやすいです。四国を訪れる際にはぜひセットで訪れることをお勧めします。

高松市内・栗林公園

丸亀から電車で約30分の高松市には、日本庭園の傑作として名高い栗林公園(りつりんこうえん)があります。特別名勝に指定された約75万平方メートルの広大な回遊式庭園で、江戸時代に讃岐松平家の別邸として整備されました。庭園内には6つの池と13の丘が配置され、四季折々に異なる美しい景観を見せます。

栗林公園が特別名勝に指定された理由は、その庭園の完成度の高さにあります。特に「掬月亭(きくげつてい)」と呼ばれる茶屋からの眺めは、日本庭園の美を集約したような構図を持ち、多くの写真家を惹きつけます。庭園内の松の木は一本一本が職人の手で丁寧に剪定されており、「根上がり松」など個性的な樹形を持つ名木も多数あります。外国人観光客にも人気が高く、ミシュランガイドで三ツ星を獲得したこともある国際的な観光スポットです。

高松市内には栗林公園以外にも、四国八十八ヶ所霊場の第84番〜87番を合わせた「高松七ヶ寺巡り」や、高松城址(玉藻公園)、讃岐うどんの有名店なども多く、丸亀城と組み合わせた1泊2日の旅程を組みやすい充実した観光地です。

高知城・四国内の城めぐり

丸亀城を訪れる城好きの方には、四国内の他の名城との組み合わせも強くおすすめです。四国には現存天守を持つ城が3城あり、丸亀城・高知城・宇和島城がそれぞれ個性的な魅力を持っています。特に備中松山城は岡山県にありながら四国との日帰り旅行圏内にあり、現存天守を持つ山城として丸亀城とは異なる魅力を体験できます。

高知城は現存天守の中でも本丸の建物群が完全に残る唯一の城として知られており、天守・本丸御殿・廊下橋・追手門など6棟が国の重要文化財に指定されています。丸亀から高知への移動は高速バスで約2時間と、日帰りも十分可能です。日本各地の名城を巡る「城旅」の一環として、四国の現存天守3城を制覇するプランは多くの城郭ファンに支持されています。

また、四国の城めぐりをさらに充実させるためには、他の地域の名城も視野に入れることをおすすめします。例えば、犬山城(愛知県)は天守が国宝に指定された現存天守の一つで、木曽川沿いの景観と合わせて楽しめる名城です。現存天守12城を制覇する「現存天守完全制覇」という目標を持つ城郭ファンも多く、丸亀城はその旅の中でも特に印象深い城として語られています。

アクセス方法

丸亀城へのアクセスは、電車・バス・車と複数の方法があります。主な出発地からの目安の時間と方法を以下にご案内します。

  • 電車でのアクセス:JR予讃線「丸亀駅」下車、徒歩約10分。高松駅からJR予讃線快速で約25分、松山駅からは特急で約1時間20分です。岡山駅からはJR瀬戸大橋線・予讃線で約1時間(マリンライナー乗り換え)。大阪・神戸方面からは新幹線で岡山まで来て乗り換えが便利です。
  • バスでのアクセス:高松空港から高松市内へ連絡バス、その後JRに乗り換えて丸亀駅へ。高速バスは大阪・東京などの主要都市からも運行されており、丸亀インターチェンジ付近に停留所があるバスも利用できます。
  • 車でのアクセス:神戸淡路鳴門自動車道・高松自動車道経由で、神戸から約1時間30分〜2時間。「丸亀IC」または「善通寺IC」で下車し、国道から市内へ約10〜15分。城の周辺には市営・民営の駐車場が複数あります。
  • 飛行機でのアクセス:高松空港が最寄りの空港で、東京(羽田)から約1時間10分のフライト。空港から丸亀まではリムジンバスや連絡バス+JRで約60〜70分です。

丸亀城は丸亀駅から徒歩圏内にあるため、電車でのアクセスが最も便利です。駅を出て北側に向かうと城の石垣が見えてきます。徒歩約10分で大手門に到着しますが、大手門から本丸まではさらに急な坂道が続くため、歩きやすい靴での来城をおすすめします。また、登城には15〜30分程度かかるため、時間に余裕を持ったスケジュールを組みましょう。

丸亀城周辺の駐車場は、「丸亀城三の丸駐車場」や「丸亀市立市民会館駐車場」などが利用可能です。桜の季節や行楽シーズンの週末は駐車場が混雑することがあるため、公共交通機関の利用が賢明です。丸亀駅周辺にはレンタサイクルのサービスもあり、城と周辺スポットを自転車で巡るのも楽しい方法です。

丸亀城への道、丸亀駅から城への徒歩ルートを示す街並みと城の石垣が見えるアングル

まとめ

丸亀城は、日本一高い石垣(約60メートル)と現存天守という二つの大きな魅力を兼ね備えた、四国を代表する歴史的名城です。1597年の生駒親正による築城から400年以上の歴史を持ち、廃城令や石垣崩落といった幾多の苦難を乗り越えて現代まで生き続けてきました。石垣の壮大さは全国の城郭の中でも類を見ないほどで、一度見たら忘れられない強い印象を残します。

周辺には金刀比羅宮や栗林公園など香川を代表する観光スポットも充実しており、1泊2日の旅程であれば丸亀城を中心に充実した四国旅行を楽しむことができます。また、四国内の他の現存天守(高知城・宇和島城)や近隣の備中松山城犬山城とも合わせて「城めぐり旅」を計画するのもおすすめです。

日本の城郭文化に興味をお持ちの方、瀬戸内海の美しい風景を楽しみたい方、あるいは単純に圧倒的な石垣の迫力を体験したい方、いずれの方にとっても丸亀城は期待を大きく上回る体験を提供してくれるでしょう。ぜひ香川・四国への旅の機会に、丸亀城への訪問をお考えください。日本の城の奥深さを再発見できる特別な体験が待っています。なお、日本の宿泊文化についても興味がある方は旅館ガイドもぜひ参考にしてください。

よくある質問

1

A.天守入城を含めて約1時間30分〜2時間が目安です。大手門から天守まで急な登り坂が続くため、登城と下城の時間を含めると最低でも1時間は見ておきましょう。石垣をゆっくり観察したり三の丸広場で休憩を取りながら楽しむ場合は、2時間〜2時間30分の余裕を持つのがおすすめです。

2

A.天守への入城料金は大人200円、子供(15歳以下)100円です。城郭内(石垣・三の丸広場など天守以外)は無料で散策できます。事前予約は不要で当日天守入口で支払います。開城時間は9:00〜18:00(天守入城は17:30まで)、年中無休(12月25日〜31日は天守内部のみ休み)です。

3

A.特におすすめは桜の季節(3月下旬〜4月上旬)と秋(10月〜11月)です。桜の季節は約1,000本の桜と石垣・天守のコラボレーションが美しく夜間ライトアップも楽しめます。秋は眺望が良く人混みも少なめです。夏は暑さが厳しいため早朝の訪問をおすすめします。

4

A.「丸亀城三の丸駐車場」「丸亀市立市民会館駐車場」など複数の駐車場があり、料金は1時間200円程度からです。城内の売店でうどんや軽食を楽しめるほか、丸亀市内には讃岐うどんの名店が多数あります。桜シーズンや週末は駐車場が満車になることがあります。

5

A.本当です。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪の4段の合計高さは約60メートルで、日本の城郭の中で最も高い石垣として認定されています。比較すると大阪城の石垣の最高部分が約30メートル程度で、丸亀城の突出した規模がわかります。なお「約60メートル」は4段の合計値です。