はじめに
京都市左京区、岡崎エリアに足を踏み入れると、遠くからでも目に飛び込んでくるのが平安神宮の大鳥居です。高さ24.4メートル、幅18メートルという日本有数の大きさを誇るこの朱色の鳥居は、平安京の記憶を現代に呼び起こすかのように、堂々と空に向かってそびえ立っています。
平安神宮は、明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して創建された、京都の中でも比較的新しい神社です。しかし「新しい」とはいっても、その存在感は京都を代表する神社仏閣に決して引けを取りません。社殿は平安京の正庁・朝堂院を約5/8の規模で忠実に再現したもので、往時の都の華やかさと威厳を現代に伝えています。祭神には平安京を築いた桓武天皇と、幕末最後の天皇である孝明天皇を祀り、1100年にわたる「都・京都」の始まりと終わりを象徴する神社として、年間約100万人の参拝者を迎えています。
さらに平安神宮を語るうえで忘れてはならないのが、名勝・神苑(しんえん)の存在です。明治の名庭師・7代目小川治兵衛(おがわじへえ)が手がけた約1万坪(約33,000平方メートル)の池泉回遊式庭園は、四季折々に異なる表情を見せ、特に春の桜と初夏の花菖蒲は京都でも屈指の美しさを誇ります。この記事では、平安神宮の歴史から見どころ、周辺の観光スポット、アクセス方法まで、訪問に必要な情報を徹底的に解説します。

平安神宮の概要
平安神宮は京都市左京区の岡崎エリアに位置する神社で、平安遷都1100年を記念して明治28年(1895年)に創建されました。正式名称は「平安神宮」で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社に列せられています。
| 正式名称 | 平安神宮 |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市左京区岡崎西天王町97 |
| 祭神 | 桓武天皇・孝明天皇 |
| 創建 | 明治28年(1895年) |
| 例祭 | 4月15日 |
| 参拝時間 | 6:00〜18:00(季節により変動) |
| 神苑拝観時間 | 8:30〜17:30(季節により変動) |
| 神苑拝観料 | 大人600円/小人300円 |
| 定休日 | なし(年中無休) |
| 電話番号 | 075-761-0221 |
※最新の参拝時間・拝観料は平安神宮公式サイトをご確認ください。
平安神宮の最大の特徴は、その社殿が平安京の正庁・朝堂院を模して造られていることです。朝堂院とは、天皇が政務を執り行い、国家的儀式が行われた平安京の中心施設で、現在の千本丸太町付近にありました。平安神宮では、この朝堂院の主要な建物を約5/8のスケールで再現しており、大極殿(だいごくでん)に相当する外拝殿、応天門に相当する神門(しんもん)、蒼龍楼・白虎楼などが往時の壮麗な姿を偲ばせます。これらの建造物は平安時代の建築様式を忠実に再現しており、朱塗りの柱と碧瓦(みどりがわら)の屋根が織りなす色彩は、まさに「雅(みやび)」の一言に尽きます。
敷地面積は約2万坪(約66,000平方メートル)で、そのうち約1万坪を神苑が占めています。社殿を含む境内は国の登録有形文化財に登録されており、神苑は国の名勝に指定されています。京都三大祭の一つ「時代祭」の出発地としても知られ、毎年10月22日には約2,000人もの市民が時代装束を身にまとい、平安神宮から京都御所まで約2キロメートルの時代行列が繰り広げられます。
平安神宮の歴史
1. 平安遷都の記憶——桓武天皇と京都の始まり
平安神宮の歴史を紐解くには、まず祭神である桓武天皇と平安遷都の物語から始めなければなりません。延暦13年(794年)、第50代天皇・桓武天皇は都を長岡京から山背国(やましろのくに)の葛野(かどの)に遷し、新たな都を「平安京」と名付けました。「平安」には「平らかで安らかな都」という願いが込められており、その名の通り、この都は明治2年(1869年)に東京に遷都されるまでの約1100年間、日本の首都として栄え続けることになります。
桓武天皇が遷都を決断した背景には、奈良の大寺院の政治介入や、長岡京での藤原種継暗殺事件、早良親王の怨霊騒動など、複雑な政治的事情がありました。桓武天皇は新しい都で仏教勢力の干渉を排し、律令国家の理想を実現しようとしたのです。平安京は中国の長安城を模した碁盤目状の都市計画で造営され、南北約5.3キロメートル、東西約4.5キロメートルの壮大な規模を誇りました。その中心に据えられたのが、天皇の居所である内裏と、政治の中枢である朝堂院です。
桓武天皇は在位中に平安京の整備に力を注ぎ、蝦夷征討の軍事遠征も行いました。征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣して東北地方の支配を拡大する一方、国内では班田制の改革や国司の監督強化など、律令体制の立て直しに尽力しています。桓武天皇の築いた平安京は、やがて藤原氏による摂関政治、院政、武家政権という様々な政治形態の舞台となりながら、千年以上にわたり日本文化の中心であり続けました。
2. 明治維新の衝撃——東京遷都と京都の危機
平安神宮創建の直接的な契機を理解するには、明治維新がもたらした京都の危機的状況を知る必要があります。慶応3年(1867年)の大政奉還、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いを経て、明治新政府が樹立されました。そして明治2年(1869年)、明治天皇は東京に行幸し、事実上の遷都が行われます。1100年にわたり天皇の座す都であった京都から、天皇と宮廷が去ったのです。
この出来事は京都に壊滅的な影響を与えました。天皇の御所を中心に栄えてきた宮廷文化、公家社会、それに付随する産業や商業が一気に衰退します。人口は幕末の約35万人から明治初期には約24万人にまで激減し、京都の街は活気を失いました。公家たちは次々と東京に移り住み、御所周辺の邸宅は空き家となり、かつての千年の都は「旧都」として忘れ去られようとしていました。
しかし京都の人々は、この危機に屈することなく立ち上がります。第2代京都府知事の槇村正直や、第3代知事の北垣国道は、京都の近代化に力を注ぎました。琵琶湖疏水の建設、日本初の市電(京都電気鉄道)の開通、第四回内国勧業博覧会の誘致など、明治中期の京都は「古都の復興」に向けて着々と歩みを進めていきます。こうした復興運動の中で、京都市民の誇りと結束の象徴として計画されたのが、平安遷都1100年を記念する一大事業でした。その中心に据えられたのが、平安神宮の創建です。
3. 明治28年(1895年):平安神宮の創建——市民の力で蘇る平安の都
平安遷都1100年にあたる明治28年(1895年)、京都では記念事業として「第四回内国勧業博覧会」の開催と「平安神宮の創建」が計画されました。この二つの事業は、衰退しつつあった京都の威信を取り戻し、産業振興と観光誘致を図る壮大なプロジェクトでした。
平安神宮の設計を担ったのは、宮内省内匠寮の技師・木子清敬(きこきよよし)と伊東忠太です。彼らは平安京の正庁・朝堂院の建築を約5/8の規模で忠実に再現することを目指しました。社殿の建設には京都市民の熱い想いが注がれ、多くの寄付や奉仕活動によって支えられました。明治28年3月15日に本殿が竣工し、4月1日には第四回内国勧業博覧会の開会に合わせて盛大な鎮座祭が執り行われています。
創建当初の祭神は平安京を築いた桓武天皇のみでしたが、昭和15年(1940年)に孝明天皇が合祀されました。孝明天皇は第121代天皇で、幕末の動乱期に在位し、京都で崩御した最後の天皇です。桓武天皇が「京都の始まり」を象徴するなら、孝明天皇は「京都が天皇の都であった最後の時代」を象徴する存在です。この二柱の天皇を祀ることで、平安神宮は1100年にわたる「みやこ・京都」の歴史を包み込む神社としての性格を完成させました。
平安神宮の創建と同時に始まったのが「時代祭」です。明治28年10月22日、平安遷都の日に合わせて第1回の時代祭が挙行されました。京都の各時代の風俗を再現した時代行列は、京都市民の歴史への誇りと結束を示す祭りとして、現在まで130年以上続いています。

4. 昭和の試練——昭和51年の放火事件と復興
創建から80年余り、平安神宮は順調に歴史を重ねてきましたが、昭和51年(1976年)1月6日未明、予想もしなかった悲劇が起こります。過激派を名乗る人物による放火事件が発生し、本殿・内拝殿・神饌殿(しんせんでん)など9棟が全焼するという壊滅的な被害を受けたのです。この事件は「平安神宮放火事件」として知られ、国の重要文化財級の建造物が一夜にして灰燼に帰しました。
しかし、京都市民をはじめとする全国からの支援は迅速でした。焼失を知った人々から自発的に義援金が寄せられ、再建のための募金活動が全国規模で展開されます。特筆すべきは、再建にあたって明治時代の創建時と同じ伝統工法にこだわったことです。宮大工たちが平安時代の建築様式を忠実に再現し、朱塗りの柱や碧瓦の屋根を一つひとつ丹念に仕上げていきました。
昭和54年(1979年)4月、わずか3年という驚異的な速さで本殿をはじめとする社殿の再建が完了しました。総工費は約20億円にのぼりましたが、そのうち約7億円が一般からの寄付によって賄われています。この再建は、平安神宮が京都市民にとっていかに大切な存在であるかを改めて示した出来事でした。創建時もそうであったように、京都の危機において市民の力が結集するという歴史が繰り返されたのです。
5. 現代の平安神宮——京都を代表する観光名所として
再建後の平安神宮は、京都を代表する観光名所としてさらなる発展を遂げています。平成6年(1994年)には平安神宮の社殿が国の登録有形文化財に登録され、神苑は昭和50年(1975年)にすでに国の名勝に指定されていました。年間参拝者数は約100万人を数え、初詣には例年約50万人が訪れる京都有数の初詣スポットとなっています。
近年は文化発信の拠点としての役割も大きくなっています。毎年6月に開催される「京都薪能」は平安神宮の境内で行われ、篝火に照らされた能楽は幽玄の世界を醸し出します。また、ロームシアター京都や京都市京セラ美術館など、岡崎エリア一帯が文化施設の集積地として整備され、平安神宮はその中心的存在として位置づけられています。
外国人観光客からの人気も高く、巨大な朱色の大鳥居はSNSを通じて世界中に拡散され、「京都のフォトスポット」として知名度を上げています。令和に入ってからは、社殿や神苑の維持管理にも力を入れており、朱塗りの美しさを保つための定期的な塗り替え工事や、神苑の植栽管理が計画的に実施されています。平安神宮は、明治の創建当初に京都市民が込めた「都の誇りを取り戻す」という想いを、130年経った今も体現し続けているのです。
見どころ・おすすめスポット
平安神宮を訪れたら外せない見どころを厳選してご紹介します。平安京の雅を再現した社殿から四季の花々が咲き誇る神苑まで、見応えのあるスポットが揃っています。
1. 大鳥居——高さ24.4メートルの朱色のランドマーク
平安神宮のシンボルといえば、神宮道に立つ巨大な大鳥居です。高さ24.4メートル、柱間(はしらま)18メートルという規模は、建立当時(昭和4年/1929年)としては日本最大の鳥居でした。鉄筋コンクリート造りのこの鳥居は、昭和天皇の即位の大礼を記念して建設されたもので、鮮やかな朱色が岡崎エリアの街並みの中でひときわ目を引きます。
大鳥居は平安神宮の境内ではなく、約300メートル南の神宮道に立っています。これは参道としての神宮道を象徴する存在であり、鳥居をくぐってから神宮に至るまでの道のりそのものが参拝の一部と考えられています。鳥居のすぐ近くには京都市京セラ美術館やロームシアター京都があり、文化施設と神社が共存する岡崎エリアの独特な雰囲気を演出しています。
撮影スポットとしては、神宮道の南端から大鳥居を正面に捉える構図が定番です。晴れた日には青空と朱色のコントラストが美しく、特に夕暮れ時には鳥居が夕日に染まり、幻想的な風景を見せてくれます。また、琵琶湖疏水沿いの桜並木と大鳥居を組み合わせた春の風景は、京都を代表する絶景の一つです。

2. 外拝殿(大極殿)と応天門——平安京の朝堂院を体感する
平安神宮の社殿群は、平安京の正庁・朝堂院を約5/8のスケールで再現したものです。正面の入口にあたる応天門(おうてんもん)をくぐると、白砂が敷き詰められた広大な境内が目の前に広がります。正面に鎮座する外拝殿(げはいでん)は、天皇が政務を執った大極殿(だいごくでん)を模したもので、入母屋造の碧瓦の大屋根と朱塗りの柱が壮麗な姿を見せています。
外拝殿の左右には、蒼龍楼(そうりゅうろう)と白虎楼(びゃっころう)が対称的に配置されています。蒼龍楼は東を守護する青龍、白虎楼は西を守護する白虎に由来し、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)思想に基づく平安京の都市設計を反映しています。二層構造の優美な楼閣は、平安時代の宮廷建築の美しさを今に伝える貴重な存在です。
白砂の境内に立つと、その広さに圧倒されます。約1万平方メートルの広場には遮るものが何もなく、空が大きく開けて見えます。この開放的な空間は、平安京の朝堂院が持っていた威厳と壮大さを体感させてくれます。参拝の際は、まず応天門で一礼し、白砂の境内を横切って外拝殿に進みましょう。晴れた日の朝一番に訪れると、朝日に照らされた朱塗りの社殿が一層鮮やかに輝き、平安の都にタイムスリップしたかのような感動を味わえます。
3. 神苑——7代目小川治兵衛が手がけた名勝庭園
平安神宮の神苑は、社殿の東・中・西・南に広がる約1万坪(約33,000平方メートル)の池泉回遊式庭園です。明治から大正にかけて、近代日本庭園の先駆者・7代目小川治兵衛(通称「植治」)が約20年の歳月をかけて作庭しました。昭和50年(1975年)に国の名勝に指定されており、明治期の代表的な日本庭園として高く評価されています。
小川治兵衛は、それまでの枯山水や石組みを主体とする伝統的な庭園とは一線を画し、琵琶湖疏水の豊富な水を活用した「水の庭園」を創り出しました。神苑を流れる水はすべて琵琶湖疏水から引いており、池には琵琶湖の水が今も流れ込んでいます。自然の地形を活かした起伏のある園路、視界が開けたり閉じたりする巧みな空間構成、そして四季の花木を計算し尽くした植栽計画——植治の庭は「自然そのもの」でありながら、隅々まで人の手が行き届いた芸術作品です。
神苑は南神苑・西神苑・中神苑・東神苑の4つのエリアに分かれており、それぞれ異なる趣があります。春には南神苑のしだれ桜が滝のように花を降らせ、初夏には西神苑の白虎池に約200種・2,000株の花菖蒲が咲き誇ります。秋には紅葉が水面に映り、冬には雪化粧した庭園が水墨画のような風景を見せてくれます。一周約30分〜40分の園路を歩くだけで、京都の四季を凝縮して体験できる贅沢な空間です。
4. 泰平閣(橋殿)——東神苑の象徴的な橋
神苑の東神苑にある栖鳳池(せいほういけ)に架かる泰平閣(たいへいかく)は、平安神宮の神苑で最も絵になるスポットの一つです。この橋殿(はしどの)は、京都御所から移築されたもので、屋根付きの優雅な橋が池の上を渡っています。かつては御所の中で天皇や公家たちが涼を取るために使われていた建物で、その歴史的な背景も相まって格別の風格があります。
泰平閣の中に腰掛けると、栖鳳池の水面に映る周囲の風景を一望できます。池の対岸には尚美館(しょうびかん、旧京都御所の建物を移築)が建ち、その優美な姿が水面に映る「逆さ尚美館」は、まさに一幅の日本画のようです。池には鯉や亀が泳ぎ、初夏にはスイレンが花を咲かせ、水鳥たちが羽を休めます。日常の喧騒を忘れ、ただぼんやりと水面を眺める贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
泰平閣から見る景色は、時間帯によって大きく印象が変わります。午前中は柔らかな光が池面に降り注ぎ、穏やかな雰囲気が漂います。午後になると光の角度が変わり、建物や木々の影が水面に長く伸びて、より深みのある風景が楽しめます。特に桜の季節には、泰平閣の朱色と桜のピンク、池の青が織りなす色彩のハーモニーが圧巻で、多くのカメラマンが三脚を構える人気のフォトスポットとなります。
5. 時代祭——京都三大祭の華やかな時代行列
平安神宮を語るうえで欠かせないのが、毎年10月22日に行われる「時代祭(じだいまつり)」です。葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の一つで、明治28年(1895年)の平安神宮創建と同時に始まりました。平安遷都の日である10月22日に行われるこの祭りは、京都の1100年の歴史を時代装束で再現する壮大な時代絵巻です。
時代祭の行列は、明治維新から平安時代まで、時代を遡る形で構成されています。維新勤王隊列、徳川城使上洛列、豊公参朝列、織田公上洛列、室町幕府執政列、楠公上洛列、中世婦人列、平安時代婦人列など、約20列・約2,000人が約2キロメートルにわたって行進します。衣装や武具、調度品はすべて厳密な時代考証に基づいて製作されており、「動く時代絵巻」「生きた歴史教科書」とも称されます。
行列は正午に京都御所を出発し、烏丸通・御池通・河原町通・三条通を経て、午後2時半頃に平安神宮に到着します。沿道には毎年約7万人の観客が詰めかけ、各時代の装束を身にまとった人々の優雅な行進に歓声が上がります。有料観覧席もありますが、沿道で立って見物することもできます。時代祭を見るために京都を訪れるなら、10月22日の午前中に平安神宮を参拝し、午後に沿道で行列を見物するというプランがおすすめです。ただし雨天の場合は翌日に順延されることがありますので、天気予報を確認してお出かけください。
周辺の観光スポット
南禅寺——日本禅宗の最高位「五山之上」
平安神宮から東へ徒歩約15分の場所にある南禅寺は、日本の全禅宗寺院の中で最も格式が高い「五山之上」の地位を持つ寺院です。高さ約22メートルの三門は歌舞伎「楼門五三桐」の舞台として知られ、楼上からは京都市街を一望する絶景が広がります。国宝の方丈には狩野探幽の障壁画が飾られ、名勝「虎の子渡しの庭」は枯山水の傑作として名高い庭園です。
明治時代に建設されたレンガ造りの水路閣が禅寺の境内を横切る独特の風景は、南禅寺ならではの見どころです。平安神宮と南禅寺は岡崎エリアの東西に位置しており、琵琶湖疏水沿いの散策路を歩きながら両方を巡るのがおすすめです。特に紅葉の季節には、南禅寺の三門や天授庵が燃えるような赤に染まり、平安神宮の神苑とはまた違った秋の京都を堪能できます。
祇園——京都随一の花街と伝統文化
平安神宮から市バスで約10分、または徒歩で約25分の祇園は、京都を代表する花街です。石畳の花見小路通には、格式高いお茶屋や料亭が軒を連ね、運が良ければ舞妓さんや芸妓さんの姿を見かけることができます。祇園の街並みは「祇園町南側」として重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、伝統的な京町家の美しさを今に伝えています。
平安神宮で平安時代の都の壮大さを感じた後に祇園を訪れると、公家文化から町衆文化への変遷を実感できるでしょう。祇園の近くには建仁寺もあり、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(複製)や法堂天井の双龍図など、迫力ある芸術作品を鑑賞できます。平安神宮→祇園→建仁寺というルートで、京都の歴史と文化を幅広く楽しむ一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。
銀閣寺・哲学の道——東山文化と静寂の散策路
平安神宮から北東へバスで約10分、または徒歩約30分の場所にある銀閣寺(慈照寺)は、室町幕府8代将軍・足利義政が造営した東山文化の象徴です。金閣寺の華やかさとは対照的に、侘び寂びの美学を体現した銀閣(観音殿)と、白砂の向月台・銀沙灘が独特の静寂を醸し出しています。
銀閣寺から南禅寺方面へ続く「哲学の道」は、琵琶湖疏水の分線沿いに約2キロメートルにわたって延びる散策路です。哲学者・西田幾多郎が思索にふけりながら歩いたことからその名がつきました。春には約450本のソメイヨシノが桜のトンネルを作り、秋には紅葉が水面に映ります。銀閣寺→哲学の道→南禅寺→平安神宮というルートは、東山エリアの王道コースとして多くの観光客に親しまれています。全行程は徒歩で約2時間〜2時間半です。
アクセス方法
電車でのアクセス
- 京都市営地下鉄東西線:東山駅より徒歩約10分(最もおすすめ)
- JR京都駅から:地下鉄烏丸線で烏丸御池駅乗り換え → 地下鉄東西線で東山駅(約15分)
- 京阪電車:三条駅または神宮丸太町駅より徒歩約15分
バスでのアクセス
- 京都市バス5系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車、徒歩約5分
- 京都市バス46・32系統「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車、徒歩約5分
- JR京都駅から市バス5系統で約30分
車でのアクセス
- 名神高速道路 京都東ICから約20分
- 岡崎公園駐車場(有料、約500台)または京都市勧業館みやこめっせ地下駐車場を利用
- 桜・紅葉シーズンや時代祭の日は周辺道路が大変混雑するため、公共交通機関の利用を推奨
おすすめのアクセス方法
最もおすすめなのは地下鉄東西線の東山駅から徒歩で向かうルートです。東山駅を出て三条通を東に進むと、神宮道に出ます。神宮道を北に歩くと正面に大鳥居が見え、そこから平安神宮まで一直線の参道を歩くことができます。大鳥居から応天門までの約300メートルの参道は、平安神宮の壮大さを徐々に実感できる最も印象的なアプローチです。また、南禅寺や祇園エリアと合わせて巡る場合は、地下鉄東西線沿線で移動するのが効率的です。
まとめ
平安神宮は、平安遷都1100年の歴史を現代に伝える京都のシンボル的な神社です。平安京の朝堂院を再現した壮大な社殿は、かつての都の威厳と美しさを体感させてくれます。7代目小川治兵衛が手がけた名勝・神苑は四季折々の花が咲き誇り、特に春のしだれ桜と初夏の花菖蒲は京都でも随一の美しさです。そして京都三大祭の一つ「時代祭」は、1100年の歴史を時代装束で再現する壮大な時代絵巻として、京都の誇りを今に伝え続けています。
平安神宮を訪れた後は、近くの南禅寺や建仁寺、祇園エリアと合わせて東山の歴史・文化を巡る一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。平安の都に思いを馳せながら歩く京都は、きっと特別な旅の思い出になるでしょう。
よくある質問(FAQ)
平安神宮の参拝にはどのくらい時間がかかりますか?
社殿の参拝のみであれば約20〜30分が目安です。神苑を含めて見学する場合は約1時間〜1時間半をみておくとよいでしょう。神苑は四季折々の花が見どころなので、季節の花が咲いている時期はゆっくり散策するのがおすすめです。
平安神宮の参拝料はいくらですか?
社殿の参拝は無料です。神苑の拝観は大人600円、小人300円です。神苑は四季を通じて美しい庭園ですが、特に春のしだれ桜(4月上旬)と初夏の花菖蒲(6月上旬〜中旬)の時期に訪れるのがおすすめです。なお、年に数回「神苑無料公開日」が設けられることもあります。
平安神宮のベストシーズンはいつですか?
4月上旬のしだれ桜の季節が最も人気があります。南神苑の「紅しだれコンサート」の時期には、夜間ライトアップされた桜が幻想的な美しさを見せます。6月上旬〜中旬の花菖蒲、10月22日の時代祭もおすすめです。冬は参拝者が少なく、静かに社殿を巡ることができる穴場の季節です。
時代祭はどこで見るのがおすすめですか?
時代祭の行列は京都御所を正午に出発し、烏丸通→御池通→河原町通→三条通を経て、約2時間半かけて平安神宮に到着します。有料観覧席(京都御苑内と御池通に設置、約2,500円〜)は座って見物できるのでおすすめです。沿道であれば無料で見学でき、河原町三条付近は比較的見やすいポイントです。雨天の場合は翌日に順延されます。
平安神宮の大鳥居はなぜあんなに大きいのですか?
平安神宮の大鳥居は昭和4年(1929年)に昭和天皇の即位の大礼を記念して建設されました。高さ24.4メートル、柱間18メートルという巨大さは、平安京の正門にふさわしい威厳を表現するためです。鉄筋コンクリート造りで、建立当時は日本最大の鳥居でした。現在は国の登録有形文化財に登録されており、京都・岡崎エリアのランドマークとして親しまれています。


