浅草寺について|歴史や概要を詳しく解説

🕓 2024/4/27
#文化

浅草寺の歴史や概要を詳しく解説

 

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 目次

  1. 浅草寺の概要
  2. 浅草寺の歴史
  3. 浅草寺の見るべき所
  4. 浅草寺の祭事とイベント
  5. 浅草寺のアクセス


はじめに

浅草寺は、日本最古の寺院の一つとして知られ、東京都台東区に位置しています。この寺院は、その豊かな歴史、壮大な建築、そして年間を通じて開催される色とりどりの祭事やイベントで有名です。本記事では、浅草寺の歴史をたどり、その美しい境内の見どころを詳しく探ります。また、寺院で行われる主な祭事やイベントについても触れ、訪れる際のアクセス方法についてもご紹介します。

浅草寺の魅力を多角的に捉え、訪問者がこの歴史ある場所をより深く理解し、楽しむためのガイドとして機能する内容を目指しています。この記事を通じて、浅草寺の持つ文化的な価値とその美しさをお伝えできればと思います。

 

 

1. 浅草寺の概要

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浅草寺は、東京都台東区浅草に位置し、金龍山浅草寺としても知られています。628年に創建されたこの寺院は、聖観世音菩薩を本尊とし、浅草観音として広く親しまれています。初めての史料記載は飛鳥時代で、浅草寺は日本で最も古い寺の一つとされています。また、独立して聖観音宗の総本山となった歴史も持ちます。

浅草寺の歴史は多くの再建を経ており、江戸時代には徳川家康によって篤く保護されました。その後、複数回の火災に見舞われながらも、1642年に再建され、現在の五重塔や本堂などが設立されました。明治時代以降、境内は整備され、今日では全国有数の観光地となっています。名称未設定のテ?サ?イン-1
観光地として、毎年多くの参拝客が訪れ、特に正月の初詣では参拝客数が全国トップ10に入るほどです。雷門や宝蔵門(仁王門)など、多くの見どころがあり、文化財も豊富に保持しています。例えば、法華経(国宝)や二天門の木像などが有名です。また、浅草寺周辺は活気ある商店街や伝統的なイベントが楽しめるエリアとしても知られています。


 

2. 浅草寺の歴史

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浅草寺の歴史は、その創設が飛鳥時代の628年に遡り、宮戸川(現在の隅田川)で檜前浜成と竹成の兄弟が漁中に聖観世音菩薩の像を網で引き上げたことから始まります。この出来事を契機に、土師中知が自宅を改築して寺とし、以降浅草寺は多くの信仰を集めるようになりました。

645年には、勝海上人がこの地に観音堂を建立し、本尊を秘仏と定めました。これが後の浅草寺の礎となります。平安時代中期には、平公雅が寺の再建と拡張に寄与し、寺の規模と権威を一層高めました。

鎌倉時代には源頼朝が戦勝祈願で浅草寺を訪れ、さらに浅草寺は源平の戦いの後、坂東三十三観音霊場の一つとしても名を馳せました。江戸時代に入ると、徳川家康が浅草寺を庇護し、多くの再建と拡張が行われ、浅草寺はさらにその格式を増すこととなりました。

特に注目すべきは、戦後の再建です。第二次世界大戦の東京大空襲で本堂など多くの建物が焼失しましたが、戦後に鉄筋コンクリートの建築物として再建され、現在に至るまで多くの人々に親しまれています。



 

3. 浅草寺の見るべき所

雷門

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雷門は、浅草寺の象徴的な入り口であり、その歴史と美しさから多くの観光客に愛されています。元々は941年に初めて建てられた雷門ですが、その後何度も焼失し、最終的に1960年に松下幸之助(パナソニックの創業者)の寄付により現在の形で再建されました。この門には、風神と雷神の像があり、それぞれが風と雷の神を表しています。これらの像は江戸時代に作られた頭部と、明治時代に作られた胴体を組み合わせたものです。

もう一つの特徴は、その巨大な提灯です。この提灯は高さが3.9メートル、直径が3.3メートルもあり、重さは約700キログラムにもなります。提灯は定期的に新調されており、その製作は京都の職人によって行われています。特に大きな行事がある際には、提灯を上げることで高さのあるものが通れるようになっています。

 

宝蔵門

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宝蔵門は浅草寺の内門であり、重要な文化財を保管する役割を持っています。この門は1964年に再建されたもので、高さは約21.7メートルに及びます。門の左右には阿形と吽形の金剛力士像が安置されており、これらは寺を守る守護神とされています。また、宝蔵門の裏側には、魔除けの効果があるとされる大わらじが掲げられています。このわらじは、山形県村山市から奉納されたもので、その大きさと存在感は多くの参拝者の目を引きます。

宝蔵門の名前の由来は、元々は仁王門と呼ばれていたが、1964年の再建時に経典や寺宝を保管する収蔵室が設けられたことから現在の名前に変わりました。門には「小舟町」と書かれた大提灯が吊り下げられており、これは日本橋小舟町の魚市場の信者たちが1659年に奉納したものです。

 

常香炉

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常香炉は、浅草寺の本堂の前に設置されており、参拝者はこの香炉から上がる煙を体に纏うことで心身を清めるとされています。この習慣は、厄払いや災い避けに効果があると信じられています。常香炉から上がる煙は、「煙を浴びると身体が浄化される」とされ、多くの参拝者が香炉の前で手を振って煙を自分の体に当てる光景を見ることができます。特に新年や特定の祭事の際には、多くの人々がこの煙を求めて集まります。 

 

五重塔

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五重塔は浅草寺の境内に位置する象徴的な建造物で、その高さは約53メートルにも及びます。この塔は、本堂の西南に位置しており、その美しい外観は数多くの写真撮影の対象となっています。塔の最上層には、スリランカから正式に奉納された仏舎利が安置されており、これはお釈迦様のご遺骨を指します。五重塔は、地震にも強い構造とされており、歴史的にも多くの自然災害を耐え抜いてきました。

五重塔の建築は、昭和時代に再建されたもので、鉄骨と鉄筋コンクリートの構造を持ちます。塔院は広大で、内部には聖観世音菩薩を含む複数の仏像が安置されていますが、一般公開されているわけではありません。

 

本堂

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浅草寺の本堂は、東京都台東区浅草に位置し、多くの参拝者に親しまれている重要な寺院です。本堂は、聖観世音菩薩を本尊として奉安しており、「浅草の観音様」としても知られています。本堂の前に設置されている常香炉からは、お香の煙が立ち上り、これを体に纏うことで心身の浄化を図る習慣があります。

建築は鉄筋コンクリート造りで、昭和33年(1958年)に完成しました。内部は、内陣(ないじん)と外陣(げじん)に分かれており、外陣には「施無畏」と書かれた扁額が掲げられています。内陣には秘仏の聖観世音菩薩が安置されているほか、様々な観音像や護持仏が奉安されています。

設計は、日本の伝統的な様式を踏襲しており、その壮大な構造は多くの参拝者に感動を与えています。また、本堂では日々の勤行のほか、年中行事も盛んに行われ、特に毎月18日の観音さまのご縁日は多くの信者で賑わいます。

 

二天門

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二天門、または仁王門とも呼ばれるこの門は、浅草寺の入口に位置しており、本堂への道を守る重要な構造物です。この門の名前は、門の両側に立つ二体の仁王像(金剛力士像)に由来しています。これらの像は、寺を邪悪な力から守るとされ、力強い表情と筋骨隆々の体が特徴です。多くの参拝者はこの門を通ることで、心身の浄化を感じると言われています。

 

影向堂

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影向堂は浅草寺の境内にある重要な堂の一つで、故人の冥福を祈る場所として知られています。ここでは年に何度か追善供養が行われ、多くの人々が故人の魂に対して祈りを捧げます。影向堂はその落ち着いた雰囲気と、周囲の自然に囲まれた場所であるため、心静かに過去を振り返り、未来への願いを新たにするのに適した場所です。特に早朝や夕方の静寂な時間帯に訪れると、その精神性をより深く感じることができます。

 

仲見世通り

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仲見世通りは、浅草寺の雷門から宝蔵門に至る約250メートルの商店街で、江戸時代から続く日本で最も古い商店街の一つとされています。この通りは、浅草寺の参拝者が増加するにつれて形成され、現在では89の店舗が軒を連ねています。商店街では、伝統的な日本のお土産や食べ物が豊富に揃えられており、江戸時代から伝わる老舗も多数存在します。特に有名な商品には、雷おこし、浅草のり、せんべい、人形焼などがあります。

この商店街は観光客に非常に人気があり、一年中多くの人々で賑わいます。通り沿いには、食べ歩きが楽しめるテイクアウトグルメの店も多く、観光の楽しみ方として推奨されています。また、夜のシャッターが閉まった仲見世通りも推奨されており、多くの店舗が閉店後に下ろすシャッターには浅草の年間行事を描いた美しい絵が描かれており、昼間とは異なる趣を楽しむことができます。



 

4. 浅草寺の祭事とイベント 

浅草寺で行われる祭事とイベントには、以下のような主要なものがあります。

節分会

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浅草寺の節分会は毎年2月3日に開催され、特に豆まきイベントが有名です。このイベントでは、伝法院から本堂に至るまで行列が行われ、その後、本堂の東側に設けられた特設舞台から年男による豆まきが行われます。豆まきの際には「鬼は外」とは言わず、「千秋万歳福は内」と声を上げるのが特徴です。これは、浅草寺においては「観音様の前に鬼はいない」という考えに基づいています。

節分会では、浅草寺三大寺舞のひとつ「福聚の舞(七福神の舞)」の奉演も行われ、多くの訪れる人々に文化的な楽しみを提供しています。また、このイベントには多くの芸能人が参加することでも知られており、豆まきは非常に華やかなものとなっています。

 

金龍の舞

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金龍の舞は、毎年3月18日に浅草寺で行われる特別なイベントで、浅草寺の山号「金龍山」から名付けられました。この舞は、本堂再建を記念して1958年に始められ、浅草寺を象徴する観音さまと密接に関連しています。長さ約18メートル、重さ約88キログラムの金龍が8人の舞手によって操られ、境内を練り歩きます。この龍は、蓮華珠を先頭にして守護され、舞い手たちはその動きを精巧に調整して、龍が生きているかのように見せる高度な技術を披露します。

この行事は、観音さまの示現を記念し、参拝者に大きな感動を与えることで知られており、その壮大なパフォーマンスは多くの観光客や地元住民から高い評価を受けています。

 

白鷺の舞

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鷺の舞は、浅草寺で春と秋に行われる伝統的な行事です。この行事は1968年に東京百年を記念して始められ、浅草寺の「慶安縁起絵巻」に記された祭礼行列をモチーフにしています。参加者は平安時代の装束をまとい、白鷺を模した美しい舞を披露します。舞い手たちは、餌まき、武者、楽人など様々な役割を演じながら境内を練り歩きます。

この舞は、特に4月第二日曜日、五月の三社祭、11月3日の文化の日に行われ、浅草寺の美しい伝統文化を体感する絶好の機会を提供しています。白鷺の舞は、その美しさと歴史的意義から多くの観光客や地元の人々に親しまれており、浅草寺訪問のハイライトの一つとなっています。

 

三社祭

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三社祭は、毎年5月の第三週末に東京の浅草で開催される、浅草寺、浅草神社、草刈稲荷神社を中心とした大規模な祭りです。この祭りは、地元の氏子たちが担ぐ豪華な神輿の渡御が特徴で、東京三大祭の一つとして数えられます。

祭りは金曜日から日曜日までの3日間にわたって開催され、浅草の街は伝統的な祭りの雰囲気に包まれます。主要な行事としては、約100基の神輿が町内を練り歩く「町内神輿連合渡御」があります。これは、各町会が自慢の神輿を担いで浅草の街中を練り歩く様子が見られる壮観なイベントです。また、神輿が神社に帰る「宮入り」の様子も見どころの一つです。



 

5.  浅草寺へのアクセス

浅草寺へのアクセスは、東京の都心部に位置し、多くの公共交通機関で容易に訪れることができます。

電車でのアクセス
最も便利なアクセス方法は電車です。浅草寺の最寄り駅は東京メトロ銀座線の浅草駅で、雷門まで徒歩約5分です。また、都営浅草線の浅草駅からも徒歩約5分と、複数の路線からアクセスが可能です。さらに、東武スカイツリーラインの浅草駅を利用する場合も同様に雷門まで徒歩数分で到着できます。

車でのアクセス
車での訪問も可能ですが、浅草地区は一般的に交通が混雑しやすいため、公共交通機関の利用が推奨されています。車を利用する場合は、近隣のコインパーキングを利用することが一般的ですが、特に週末や祭りの際には混雑が予想されるため、時間に余裕を持って訪れることが望ましいです。

その他の情報
自転車やバイクの場合、近隣に駐輪場がありますが、大変混雑することがあるので注意が必要です。また、浅草寺周辺は歩行者天国になることも多く、アクセスの際はそれを考慮に入れると良いでしょう。

 

 

 

さいごに

この記事を通じて、浅草寺の豊かな歴史、美しい建築、そして年間を通じて開催されるさまざまな祭事とイベントについて深く掘り下げました。訪れるすべての人々にとって、この古い寺院がどのような場所であるか、その魅力を詳しくお伝えすることができたと思います。

浅草寺を訪れる際は、これらの情報があなたの旅をより豊かで有意義なものにする手助けとなることでしょう。歴史あるこの場所を自らの目で見て、感じて、浅草寺の持つ独特の文化と歴史を体験してください。