新世界について|歴史や概要を詳しく解説

🕓 2024/6/01
#文化

新世界の歴史と概要を詳しく解説

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 目次

  1. 新世界の概要
  2. 新世界の歴史
  3. 新世界のおすすスポット
  4. 新世界の食べるべきグルメ


はじめに

新世界は、大阪市浪速区に位置する歴史的な繁華街で、多様な文化とエンターテイメントが融合する魅力的なエリアです。1912年の誕生以来、通天閣やジャンジャン横丁といったシンボル的なスポットが訪れる人々を魅了し続けています。この記事では、新世界の歴史、見どころ、そして絶品のグルメについて詳しく紹介します。

新世界は、その独特の雰囲気と豊かな食文化で、多くの観光客に愛されています。歴史的な背景から最新の観光スポットまで、新世界の魅力を存分に楽しむための情報をお届けします。訪れる前にこの記事を参考にして、新世界の多彩な魅力を堪能してください。

 

 

 

1. 新世界の概要

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新世界は、大阪市浪速区恵美須東に位置する歴史的な繁華街で、1912年に初代通天閣と遊園地ルナパークの開業を契機に誕生しました。当時の新世界は、パリやニューヨークを模倣したテーマパークのような街並みが特徴で、近代的な都市の風景を取り入れたエンターテイメント地区として発展しました。

中央には、大阪のシンボルともいえる通天閣がそびえ立ち、その周辺にはジャンジャン横丁という名前で知られる商店街が広がっています。このエリアは、かつての繁栄を偲ばせるレトロな雰囲気が漂い、昭和初期の面影を色濃く残しています。通天閣から放射状に延びる街路には、昔ながらの飲食店や娯楽施設が立ち並び、訪れる人々にノスタルジックな体験を提供しています。

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特に串カツが名物料理として有名です。多くの串カツ店が軒を連ね、サクサクとした衣と豊かな風味が特徴の串カツは、新世界を訪れる観光客にとって必食のグルメです。これらの店は、気軽に楽しめる庶民的な雰囲気が魅力で、地元の人々だけでなく観光客にも人気があります。

また、新世界には将棋を楽しむ施設も数多く存在します。特に有名なのが「ジャンジャン横丁将棋クラブ」で、地元の将棋愛好者が集まり、和やかな雰囲気の中で対局を楽しんでいます。このような将棋クラブは、新世界の文化的な魅力の一つであり、訪れる人々に日本の伝統的な文化を体験する機会を提供しています。


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戦後の復興期には多くの市民の憩いの場として賑わい、現在でも観光地として人気を博しています。新世界の街並みは、歴史的な建造物と現代的な施設が融合しており、多様な魅力を持つエリアとして、多くの観光客を魅了しています。

 

 

 

 

2. 新世界の歴史

1910年代

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新世界は1912年に誕生しました。大阪市の南側に位置するこのエリアは、通天閣とルナパークという二つの主要施設によって華々しくスタートしました。通天閣はエッフェル塔を模して建設され、ルナパークは遊園地として、多くの観光客を引きつけました。この時期、新世界は「新巴里」や「第二千日」と呼ばれ、近代的な都市風景を模倣する試みがなされました。

 

1920年代

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1923年、ルナパークは閉鎖されましたが、エリア自体の魅力は続きました。通天閣もまた重要なシンボルであり続けました。しかし、1923年には新世界全体が関東大震災の影響を受け、再建の必要性に迫られました。1920年代の新世界は、劇場や娯楽施設が集まり、賑わいを見せていました。

 

1940年代

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1943年1月16日、初代通天閣は火災に見舞われました。この火災は通天閣の脚元にあった映画館「大橋座」から出火し、炎は通天閣に延焼しました。通天閣はその炎によって大きな損傷を受けました。

この時期、日本は太平洋戦争の真っただ中にあり、戦時体制下で金属資源が不足しており、1943年2月、通天閣は戦時中の金属供出令に従い、約300トンの鉄材として供出されることが決定されました。これで通天閣はその後解体され、4月には完全に姿を消しました。この時期、新世界は厳しい状況に直面し、地域全体が大きな変革を余儀なくされました。

 

1950年代

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戦後、新世界は再び復興の兆しを見せ始めました。1956年には二代目通天閣が完成し、再びこのエリアの象徴として立ち上がりました。通天閣は新世界の再生を象徴する存在となり、多くの観光客を引き寄せました。また、戦後の復興期には、多くの飲食店や娯楽施設が再開し、新世界の活気が戻ってきました。

 

1970年代から1990年代

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1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(大阪万博)は、日本の工業技術の進歩と未来への希望を象徴する大規模なイベントでした。この博覧会の成功は、大阪全体に経済的な恩恵をもたらし、新世界もその影響を受けました。新世界には、多くの観光客が訪れ、ジャンジャン横丁などの商店街は大いに賑わいました。この時期、新世界は飲食店や娯楽施設が集積し、地元の人々や観光客の人気スポットとなりました。
1990年代に入ると、日本全体がバブル経済の崩壊による影響を受けましたが、新世界はその独自の魅力を維持し続けました。しかし、この時期には地域の治安や風紀が問題視されることもありました。特に夜間の治安や一部の施設での問題行動が取り沙汰されるようになりました。

 

2000年代以降

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2000年代に入ると、新世界は観光地としての再評価が進みました。地域の再開発とともに、多くの飲食店や娯楽施設が新たに注目され、特に串カツは新世界の名物料理として広く知られるようになりました。この時期、新世界は観光客向けの施設やサービスが充実し、国内外から多くの訪問者が訪れる人気スポットとなりました。
特に、通天閣周辺のエリアは観光客にとって魅力的な場所となり、地元の食文化や独特の風情が再び脚光を浴びることになりました。。

新世界はその長い歴史の中で、多くの変遷を経ながらも、常に大阪の文化とエンターテイメントの中心地として存在し続けています。通天閣をはじめとするシンボル的な存在や、多様な飲食文化、そして地域の人々の温かさが、新世界の魅力を形成しています。

 

 

 

 

3. 新世界の見どころ

ジャンジャン横丁

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世界の南陽通商店街の愛称で、地下鉄動物園前駅から通天閣までの約180メートルのアーケード商店街です。この通りは、戦後に店々から三味線や太鼓の音がジャンジャンと響いていたことからその名がつきました。ここでは「ソース二度漬けお断り」で有名な串カツ店をはじめ、焼肉、寿司、うどん、立ち飲み居酒屋など多くの庶民的な飲食店が立ち並び、囲碁や将棋クラブも盛況です。また、囲碁や将棋クラブも盛況で、観戦するのも楽しいスポットです。

 

かすが娯楽場

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新世界のジャンジャン横丁に位置する歴史あるゲームセンターで、昭和34年頃から営業を続けています。かつては映画や演劇の上映が行われ、多くの人々に親しまれていましたが、現在ではレトロなゲームセンターとして再生し、訪れる人々に楽しい時間を提供しています。

この娯楽場では、ビデオゲームからメダルゲーム、エレメカまで、さまざまな種類のゲームが楽しめます。特に昭和の時代を思い起こさせるようなレトロな雰囲気が特徴で、多くの観光客や地元の人々が訪れます。ワニワニパニックやタイムクライシスなどの体感型ゲームもあり、UFOキャッチャーやエレメカなども設置されています。

 

通天閣

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通天閣は、新世界のシンボルであり、大阪を代表する観光スポットです。初代通天閣は1912年に建設されました。エッフェル塔と凱旋門を組み合わせたデザインで、高さ約75メートルと当時の東洋一の高さを誇りました。名称は「天に通じる高い建物」という意味を持ち、明治期の儒学者、藤沢南岳によって命名されました。しかし、1943年に火災で損傷し、その後解体されました。

1956年には地元住民の強い要望により、二代目通天閣が再建されました。現在の通天閣の高さは108メートルで、設計は内藤多仲が手がけました。彼は名古屋テレビ塔やさっぽろテレビ塔、東京タワーの設計でも知られています。この新しい通天閣は、低層階に展示スペースや入場ゲート、高層階に展望台を持つ構造となっています。

通天閣の展望台からは、大阪市街を360度見渡せる絶景が楽しめます。展望台には「幸運の神様」ビリケンさんの像があり、その足を撫でると幸運が訪れると言われています。ビリケンさんは1908年にアメリカでデザインされ、日本では特に通天閣で人気があります。

 

ビリケンさん

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ビリケンさんは、「幸運の神」として知られ、新世界のシンボルの一つです。ビリケンさんは1908年にアメリカの女性芸術家フローレンス・プレッツによってデザインされました。夢の中で見た神様をモデルにしたというこの像は、当初アメリカで広く人気を博し、日本にも1909年に渡来しました。大阪では特に通天閣で有名です。

通天閣の初代ビリケン像は、1912年に開業した遊園地「ルナパーク」のホワイトタワー内に展示されていました。しかし、1923年にルナパークが閉園すると、ビリケン像も行方不明となりました。その後、1979年に新世界の復興を記念して二代目ビリケン像が通天閣の3階に復元されました。この二代目ビリケン像は、2012年に三代目に交代し、現在のビリケン像は高さが増し、足の裏を撫でると幸運をもたらすと言われています。

 

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新世界の主要な商店街で、多くの店舗や飲食店が軒を連ねています。このエリアは、地元の食文化や独特の風情を楽しむことができる場所であり、観光客にとっても魅力的なスポットです。毎週日曜日に開催されるマーケットイベントで、多様な商品を取り扱う店舗が集まります。このマーケットでは、雑貨、洋服、食品などが販売されており、まるでフリーマーケットのような賑やかな雰囲気を楽しむことができます。特に、「値札がない」ことが特徴で、訪れる人々は店主と直接交渉して価格を決定するスタイルが取られています

毎週土曜日夜の「新世界夜市」と毎週日曜日昼の「明るい闇市」の二つのメインイベントがあります。新世界夜市は、夜に開催されるマーケットで、特に観光客に人気があります。

 

 

 

 

 

 

4. 新世界のおすすめのグルメ

新世界はこれらのグルメ以外にも多くの美味しい料理を提供する店があり、食べ歩きや観光とともに楽しむことができます。各店舗で提供されるユニークな料理をぜひお試しください。

串カツ

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新世界と言えばやはり串カツが一番有名です。衣がサクサクで具材も豊富な串カツは、訪れる人々に大人気です。特に、「ソース二度漬け禁止」のルールが有名で、1回目のソースでたっぷり味わいます。代表的な店舗には「八重勝」や「だるま」があり、これらの店では新鮮な素材を使用した美味しい串カツが楽しめます。

 

どて焼き

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牛のアキレス腱を味噌で煮込んだ料理で、新世界の人気グルメの一つです。居酒屋「のんきや」では、1本100円とリーズナブルな価格でどて焼きを提供しており、そのとろとろの食感と濃厚な味が特徴です。これはお酒のお供にもぴったりの一品です。

 

たこ焼き

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大阪の名物たこ焼きも新世界で楽しめます。外はカリカリ、中はトロトロのたこ焼きは、観光客に大人気です。各店舗が独自のレシピで提供しており、シンプルなソース味から、マヨネーズや青のりを使ったバリエーション豊かな味が楽しめます。

 

コロッケ

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「肉のさかもと」のコロッケは、新世界の食べ歩きグルメとしておすすめです。1個80円と手頃な価格で、じゃがいもが甘くホクホクした食感が楽しめます。ソースをつけずにそのままでも美味しいのが特徴です。

 

シチューうどん

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ジャンジャン横丁にある「あづま」では、シチューうどんが人気です。シチューのようなスープに極太のうどんが入っており、具材もたっぷりで満足感の高い一品です。観光客よりも地元の人々に愛される、隠れた名店です。

 

 

 

 

さいごに

このエリアは、そのユニークな雰囲気と温かい地元の人々によって、初めて訪れる観光客もすぐに馴染むことができます。歴史的な背景や文化的な見どころを堪能しながら、新世界ならではの食文化を味わうことで、より一層の魅力を感じられるでしょう。

新世界の散策を通じて、大阪のエネルギッシュで活気に満ちた一面を発見し、忘れられない思い出を作ってください。このガイドが、あなたの新世界探訪の助けとなり、素晴らしい旅の一助となることを願っています。